《聖書のことば》聖書暗記コースA~12 キリストを誇れ あかし「わたしは福音(ふくいん)を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である」(ローマ人への手紙一・16) 福音という言葉は、もっと分りやすく訳せば「良い知らせ(グッドニュース)」と言うのであります。けれども、そう訳すよりも「キリスト」と、端的に言葉を入れかえて読む方が、かえって全体の意味がよく分るように思います。 戦前はもちろんでしたが、今でもキリスト教と言えば、やや冷笑されそうな気配を感じることがあります。けれども、私たちは大胆に、私たちの信仰を誇るのです。弱気も強きも、智者も愚者も、キリストの前には同じく罪人であり、共に救われるのでありますから。 (1980.6.22週報「キリストの福音」より) 聖句暗記のおすすめ(10) 暗記の能力に自信をもて なんども言いますが、聖句の一節を記憶することは、やってみれば案外やさしいのです。多くの人は、やりもしない中から、「私は暗記はだめでして」と、逃げ腰です。自信をもたず、無気力に暗記しかけてみると、何度やっても覚えきれず、そして「私はやっぱり暗記力はないのだ」とマイナスの自信をつよめてしまうのです。頭の悪そうな(失礼!)流行歌手でも、自分の歌はもちろんの事、人の歌でもたくさん覚えていてステージで歌っているではありませんか。 感情をこめて読む 聖書の言葉を、あなたの信仰告白として、一語一語に力をこめ、感情をこめ、口でハッキリ言うとよいのです。言うというより叫ぶのです。何度もやって、その聖句と気持がぴったりするまでやるんです。聖句を暗記するためではなく、信仰育成のための訓練と思ってやるのです。そうすると、たしかにフツフツと心の中に信仰がおこってきます。そして聖句暗記はいつの間にか完成していますよ。黙読はいけません。詩吟のように、しっかりと声に出すのです(詩吟の人は、よくむつかしい漢詩を覚えているでしょう)。 (1980.6.22週報「キリストの福音」より) 獄窓の回心 ――私の信仰記(7)―― 釘宮義人 五月二五日の週報に書きましたように、私は獄中で、自分の「信仰」を探して、「不信」の自己を発見し、絶望のどん底におちこみました。 それは、「魂の死」とでもいうように表現できましょう。徹底的絶望感覚でありました。かつて自殺しようとした事が、その時、我ながらうらやましく思えました。自殺する人は、ともかく自殺することの意義と、その実行力を持ち合わせている。ところが、絶望した人間は、死ぬ事にも意義も見出せず、死のうとしても、意思が脱力症状を呈して何も出来ない。 そのようにして、四日すぎます。独居の囚人にとり、四日間は長い。その間、死んだような気分。そして、一一月二三日がきました(ああ、それは後で知ったことですが、パスカルの回心の日です)。この日は、当時「神なめ祭」といって旗日で、休業。私は終日、ただ坐して焦燥しました。 夕刻になりました。窓べの樹々に雀たちが、にぎわしく帰ってくる頃です。私は手もとの聖書をひらきました。次の一句が、私の目を射たのです。 「一人すべての人に代りて死にたれば、凡ての人すでに死にたるなり」(コリント後書五・一四) ――私は、それ以上読もうとも思わず、その必要もなかった。この節を読み終わった瞬間、いわば平安の光というべきものが、私の心にそそぎこまれ、すべての疑問の闇は消え去ったからである。と、これは、アウグスチヌスの回心の時の告白ですが、私の感懐も、それと少しも変りません。 これはたしかに御聖霊様の働きです。御聖霊様の働きの特徴は、聖書の言葉(その著者は御聖霊様です)を、私どもの中に、そのまま実現するという事です。その時、私に取り、一人の人、キリストの死が、私の死である、ということが、突然事実となった、つまり私の古き人が死んでいる事がよく分ったのです。 パウロのような光も、ウェスレーのような胸のあたたまりも、フィニーのような電気ショックもありませんでしたけれども、私はそれで充分でした。今や、私の中にキリストの生命がありました。私の肉はキリストの内に死んで、古きは過ぎ去り、すべては新しくなっていました。パウロも、アウグスチヌスも、ルターも非常に身近かに思えました。 こうなると牢獄も宮殿です。うすい囚人ぶとんの中ででも、私は主の血潮のあたたかさを感じて、嬉し泣きによく泣きました。 (1980.6.22週報「キリストの福音」より)
by hioka-wahaha
| 2017-05-31 23:00
| 週報記事1980年
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