《聖書のことば》聖書暗記コースA~4 御ことばを貯(たくわ)えよ! キリストへの服従「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」(ヨハネによる福音書一四・21) 子はだれでも父を愛します。それが本性というものです。しかし、父の言葉を聞かず、これを守らないものは、しだいに父を遠ざかり、父を愛することが苦しくなります。そして本来愛すべき父もにくらしく思え、父の愛は又かえって怒りに見えてきます。 キリストの言葉を聞き、これを心に貯えなさい(コロサイ三・16)。御言はこうじ菌のように発酵して、あなたの心を変えます。 (1980.4.27週報「キリストの福音」より) 聖句暗記のおすすめ(4) 心を変えよ 記憶力のことについて、もう一つ言いそえます。これまで記憶力が悪いと思っていた人の多くは、記憶することを大儀なことだと思って、記憶しようとする意志を投げすてていたにすぎないのです。悔い改めて(心の向きをかえる)、「必ず覚えよう」と心の態度をかえなさい。祈って喜んで、記憶カードに向いなさい。決して、大変容易であるとは保証しませんが、案外たやすく覚えられるものです。 聖句暗記は神のご命令である。 申命記六・六を見て下さい。「きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め」。新改訳では「……あなたの心に刻みなさい」。つづく同章七節、八節では、これらの御言を子どもに教え込み、家でも道でも唱えなさい。これをしるして手にむすび、額におき、門や柱にしるしなさい、などと念には念を入れて、教えてくれています。 聖句を暗記することは、神様の御心であり、命令であります。そして、その暗記するための方法(心に刻み、教え、口に唱え、手にカード、壁や柱に聖句色紙等)さえ具体的に教えてくれているのです。 (1980.4.27週報「キリストの福音」より) 入る息に、呼く息に ――私の信仰記(4)―― 釘宮義人 昭和一九年二月、私は大分刑務所より福岡刑務所へ押送(当時の行刑用語)されました。大分検事局で、「お前のような非国民は刑務所に送って使い殺してやる」と検事にどなられましたが、いよいよその本番の刑務所行きでしょうか(大分の刑務所は当時は小さくて、仮収容所という感じでした)。 青色の囚人服(獄中では普通赤着物です。外に出る時は青着物をくれます。青色の方が、少しは位が上なのです)を着て、顔を寒風にさらして、生れ故郷の大分駅のプラットホームに立つことは、さすがにつらい事でした。たまたま、同町内で顔見知りの婦人がホームにいて、刑縄につながれている私を見て見るに忍びなかったのでしょう。顔をそむけてくれました。 しかし、汽車に乗って連れられていく囚人の心は、存外恥かしさも忘れて嬉しいものであります。それ程外の様子がなつかしいのです。一つには、囚人というドン底の位置に据えられると、人間は居なおったように腰もすわるという事ですね。パウロの言う「キリストの囚人」という時、どこかそれに似た感慨があると思います。 さて、福岡の刑務所にきた私は、本来厳正独居房に入れられるべきだったんでしょうが、一時あやまって雑居房(囚人が八人から十数名くらい収容されている)に入れられ、そこから昼間は工場に行く(刑務所用語で、おりる、という)のです。工場では、最初軍用の落下傘に使うズック地の袋縫い、次に飛行機製造用のジュラルミンのナットの修正作業でした。作業台のそばに立って、今にも崩れおちてヘタヘタと坐りこみそうな、空腹と衰弱の故に、私は目も舞いそうでした。 私はその時、橋本鑑という牧師の「福音的称名序説」という本を思い出しました。それは仏教の念仏のように「インマヌエル・アーメン」と主の御名を呼び求めるという、とてつもない教えでした。私は後年、一燈園に行って、そこの鈴木八重造さんに会って、当初橋本先生が、その「称名的キリスト信仰」に入るきっかけになった人物の事などを聞きました。ともかく、私は監視のきびしい行刑工場の中で一瞬一瞬吸う息にキリストを念じ、呼く息に御名を呼びました。そのようにして一ヶ月ほどした時、担当看守が私を呼びました。 「お前は変っとるのう、今日から役付にしてやる」 雑役囚をとびこえて平の囚人の人事(?)を看守が扱うのは珍しい事です。ともあれこうして、私は役付(食事がふえる役得あり)になったのでした。 (1980.4.27週報「キリストの福音」より)
by hioka-wahaha
| 2017-04-14 15:01
| 週報記事1980年
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