《聖書のことば》聖書暗記コースA~1 すべてが新しくなる キリストが中心「 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」 (コリント人へ第二の手紙五・17) 今、沖縄の那覇市ですばらしい伝道をしている田中菊太郎牧師。少年時代はひどい非行を重ねて、ついに少年刑務所入り。そこでも悪事をたくらんで、医者をだまして病気になりすまし、病舎でなまけていました。そこで暇つぶしのつもりで読んだのが、聖書。短いキリストの御言葉の一句が、彼の心を捉えました。彼の良心はめざめ、一気にキリストの御胸にとびこみました。そして、全く新しい人、神の子として生れかわったのです。 (1980.4.6週報「キリストの福音」より) 聖句暗記のおすすめ(1) 今週より、巻頭の《聖書のことば》に、国際ナビゲーターという宣教団体によるカリキュラムに従って、信徒である方々に、ぜひ暗記してほしい聖句六〇句を、毎週載せることにします。一週間に一句ずつ暗記することにしたいのです。いかがです、さっそく始めませんか。 聖句の上に書いている短い言葉(この号の例で言えば、「キリストが中心」)を主題(テーマ)と呼びます。このテーマと、本文の聖句と、引照箇所(この号の例では、コリント第二書五の一七)の三つをいっしょに覚えて下さい。 あなたも必ず聖句暗記が出来る 聖句暗記はこれまで何度もやろうと思って始めてみたが、結局失敗した。継続的努力は苦手である。私は記憶力がバツグンに悪い。そうお思いの人も、今回はぜひ始めてみて下さい。必ず、やれます。お手伝いもします。さァ、決心しましょう。秘訣の第一、まずカード(名刺型カード、教会にあり、無料であげます)に書いて英語単語式に手もとにおいて復習する。第二は二、三人のグループを作って一緒に練習する。(記憶力増進法を来週書きます) (1980.4.6週報「キリストの福音」より) 苦痛の意義 苦痛の持っている問題点の第一は、もちろん、その痛みそれ自身です。現に今、痛くてたまらぬ、という痛みの現実性です。「手軽に傷をいやして、……平安、平安と言う」(エレミヤ六・14参照)という手合が多いのです。そういう気安めのなぐさめ言葉に、「なぐさめられるのも厭(いと)う」(マタイ二・18文語)ほど苦痛の中にいる人は痛むのです。まして、心無い人々の快活な歌声は、「傷の上に酢をそそぐよう」(箴言二五・20)なものであります。 苦痛の第二の問題点は、それが当人にとって不公平に見えるということであります。なぜ、世の人が私よりも幸福であるのか、なぜ私のみ患難にあうのか、私よりも悪人と見える人が、ぬくぬくと安穏な人生に喜んでおり、神様に忠実に従おうとしている自分が、こんなひどい目にあっている、神様の私へのなさりかたは不当である、神様の手は不公平である、この不平、不満、うらみの心が魂にいっぱいになるのであります。 にもかかわらず、聖書は詩篇第一一九篇七一節で「苦しみにあったことは、私に良い事です」と告げます。なぜか。神を信じる者にとって苦痛は次のような良さ(意義)を生み出してくれるからです。 第一。その人を成長させます。単なる知識や技術であるならば、苦労なしに(遊びと興味による教育という幼稚園方式です)身につけさせることも出来るでしょう。しかし、「愛、寛容、平和……」などという人格的成熟は試練なしには与えられません。患難は忍耐を生み、忍耐は生きる能力を上達させます(ローマ五・3~4)。然り、苦痛に対処する最大の態度は忍耐であります。忍耐さえしていれば、何ごとかが生れてくるものであります。 第二。他の苦しむ人をなぐさめる力を得ます。コリント第二書一・4~6をご覧下さい。そこで、パウロは、「自分が患難をうけて神様よりなぐさめられる、その力で他をなぐさめることが出来る。私が大きな苦しみにあうのは、あなたがたのなぐさめと救いの為である」とさえ言っています。 第三。故に、苦痛はキリストからのこされた「遺産」の一部であり(コロサイ一・249、苦痛をとおしてクリスチャンは、神の民であるのみならず、祭司と呼ばれ得る(黙示録一・6)ものになるのであります。 第四。尚、苦痛は、その故に神をのろい、つぶやく罪をさえ自戒すれば、罪を犯すことを止める、良き防錆剤であります(ペテロ第一書四・1)。(一九八〇・三・三〇主日礼拝説教「キリストの苦難はあなたのため」より抜粋) (1980.4.6週報「キリストの福音」より)
by hioka-wahaha
| 2017-03-25 23:55
| 週報記事1980年
|
検索
ライフログ
カテゴリ
全体 日岡だより 週報「キリストの福音」 死を考え生を考える 2008「イエス様は癒し主」 1975集会だより 1975別府聖会の記 1974「神の息よ吹け」 1973「心に満つるより」 1972大分通信 1961旅する手紙 未分類 以前の記事
2024年 01月 2023年 12月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 02月 2021年 01月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 リンク
外部リンク
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||