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No.790 「信念」のむなしさ―私の信仰三段とびの記(2)― 2017.3.5

「信念」のむなしさ
――私の信仰三段とびの記(2)――
釘宮義人 
 
 よく山の頂上や、中腹にお寺やお宮があって、その前に長い石段があることがありますね。八十段とか、百段とかあって、たいそうにきつい坂が多いものです。私どもの信仰の道も、本来はそんなもので、百段も二百段もふみ越えて行かねばならぬのか、と思います。パウロは言います。「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである」(ピリピ三・12)と。信仰は、そういう意味では、「永遠の求道」であります。私はその道程の中で、やっと今、三段くらいとびこえてきた(というより、やっと這い上って来させて頂いた)という実感がいたします。その貧しい体験を少々お証ししたいと思って、この連載記事を始めたのであります。この前の記事の最後に、「これで私の助走期は終った」と書きましたが、その助走期とも言うべき信仰以前の思い出を、もう少し書きたいと思います。
 
 実は獄中で、私の心の中に大きな変化がおこりました。それはこうです。私のそれまで持っていた非戦主義の考えが突然、くずれたことです。「戦争は悪ではあるがこの人間のつくる世界では止むを得ない。どんなことがあっても正義の戦争などと呼べるものはあり得ない。にもかかわらず、それを見逃さざるを得ないこともある。どの程度の軍備、どのような戦争なら止むを得ない、というのか。そんな基準は客観的にきめにくいことだ。神の恩寵によって、許しを乞い求める祈りの中で与えられる微妙なバランス感覚によってきめるしかない」。実に、人には言い表しにくい、一種の弁証法的止揚とも言える考え方でして、そのようにして非戦主義は私の中で自壊していきました。
 何とかして刑務所を早く出たい一心で、こういう事を考えつくのかも知れませんが、表面意識のことではないから、自分では本気です。偽装した転向ではないのですから、転向という表面の卑しさにかえって苦しむのです。ガリレオが宗教裁判にあって法廷では自説を撤回しながら、その法定を出る時、「それでも地球は動いている」とつぶやいたそうです。そのガリレオがうらやましくてなりませんでした。私は、当時の島木健作などという一連の転向作家の、まじめに本気で転向して、なおその上うしろめたい気持でいる辛さが、よく分るように思いました。
 私は、自分の信仰を折ったという屈辱感と、信念というものが一夜で自壊するというはかなさに、まったく自信を失いました。自己に忠実であろうとすれば、転向者。意地を張って古い自説を固守すれば、二重人格。その頃、倉田百三の「治らずに治った話」を読みました。倉田氏が恐怖症になって、理性による自我抑制が不可能になり、有名な「出家とその弟子」に見られるような信仰の修辞学はいっぺんに消しとんでしまうのですね。そのあと、森田正馬博士の「ありのままを受け入れる」身心療法で解決して行くのですが、この時、私は初めて、人間の理性主義にもとづく信念のはかなさを、理論的にも教えられるのです。
 いわゆる「信念」ではない、キリストに絶対委托の「信仰」に入るのは、それからしばらくして前に書いたとおり、一九四四年一一月二三日のことであります。
 
 〔附言〕戦争に関する私個人の現在の考えは、右の文中の表現とあまり変りません。少年時代、ある立派な金持が、「人に悪心をおこさせてはいかぬから」と言って窓に丈夫な鉄柵を作っているのを見て不愉快だったことがありますが、やはりそれは致し方のない正論で、特に隣りの大国エゴイズムをそそるような、無防備丸腰はダメだと思います。とは言え、いくら軍備をせりあった処で、ソ連などには敵わぬことなのですから、程々にすべきです。
 (1980.3.30週報「キリストの福音」より)

【参考】後年の義人牧師は「日本よ世界のカントリーとなれ」との理想を、「大風呂敷」と頭をかきながらも以下のように書いていました。
 「私は願っている。この日本国の国民のすべての人がクリスチャンになるのを。
 (中略)
 そうなれば、もちろん私の「日本絶対非武装、非戦平和国家論」も実現する。そうなると、日本は世界のカントリーになる。
 日本は、神様のため、福音のため、世界の幸福、平和のための祈りをもって立国する。世界中の人たちをこの日本に招きたい。そして、キリストの福音を語り合いたいし、その現実化を見たい。
 製鉄工場も自動車工場もコンピューター工場も何もない日本。ただあるのは緑の森と、田園と畑、牧場。そこに温かな信仰の交わりがある。人々を招き入れ、団欒の時をもてなす。どこの家でも見知らぬ外国の人を喜んで迎え、温かく食事の交わりに招き入れる。
 どの家庭でも、そこには隠れた招待主イエス様が居られる。多くの外国からの客人たちは喜んで、又、友人を連れてこの国に来たいと言う。こんな国には戦争など起こりようもない。」日岡だより2007.5.27号より http://hiokadayor.exblog.jp/5507877/


by hioka-wahaha | 2017-03-18 11:27 | 週報記事1980年
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