No.207 主よ、来たり給え 2005.12.18

主よ、来たり給え

 いよいよクリスマスが来ます。ルカによる福音書の2章を読みますと、イエス様のご聖誕を待ちに待っていたシメオンという人やアンナという老女のことが出て来ます。
 ヨハネの黙示録の最後の所では、御再臨のイエス様を待ち望んで、「主よ、来たりませ」と記されています。
 ところで今日、私たちが「主よ、来たり給え」と呼ぶことは、可笑しいことでしょうか。いいえ、正しいことです。
 さあ、今、この場で「主よ、来たり給え」と叫びましょう。呼べば答えたもうイエス様を信じましょう。ここで、
 「主を呼び求める者は救わるべし」との御言葉を思い出しましょう。そうです、主は今、ここに来られます。あなたの心に。
 主は言葉です。あなたの心に、「私はあなたの主です」というお言葉が響かないでしょうか。また、「私はあなたを愛しています」というお言葉が響かないでしょうか。
 そのお言葉は主ご自身です。「初めに言葉があった、この言葉は神と共にあった。この言葉は神であった。そしてこの言葉は肉体となり、私たちのうちに宿った」と言われたイエス様です。
 そのイエス様は今、天の父の御許に帰り、その右に座しておられます。そして聖霊により、言葉となってあなたの心に宿ってくださいます。
 御言葉があなたの心に宿る時、そこに居られるのは主イエス様です。さあ、お呼びしましょう。
 「主よ、来たり給え」と。《く》

 
日本よ、世界のカントリーとなれ

 去る12月8日の朝、私は注意して各新聞を見た。私は地元紙の大分合同新聞と毎日新聞と産経新聞を取っている。地元紙は地元のニュースを知るためであるが、ほとんど私の役には立たない。次は毎日新聞であるが、これは穏当で読むに足る。
 「産経など、どうして読むのですか」と不思議がる人もいる。もっともなことで、私の政治思想と凡そ反対の産経新聞だが、しかし本当に参考になる。私のスクラップ帖では産経の切り抜きが一番多い。朝日は産経の反対意見で、読まなくても分かっているし、読売は面白いばかりで、読むのは時間つぶしのような気がする。これは失礼!
              *
 さて12月8日の新聞記事のことだが、どの新聞にも太平洋戦争勃発、つまり真珠湾攻撃のことが出て来ない。不満である。日本人は忘れっぽいというが、本当だ。1941年、昭和16年12月8日、「本日未明、米英両国と戦闘状態に入れり」という、あのラジオ放送を忘れられるものではない。
 ちょっと余分なことを書くが、あの時まで、日本の新聞雑誌ラジオではイギリスとアメリカを「英米」と呼んで、イギリスを先に呼ぶのが通例だった。あの日から、アメリカを先に呼び、イギリスはその後になって、「米英」になったのである。
 アメリカが正面の敵なのであった。まさかアメリカに勝とうとは一般市民にも思えなかったが、実際は真珠湾もマレー沖も大勝利だったからホッとした。そして南方のマレー方面からは石油や砂糖が入ってくるぞと、大喜びだったのである。
 中には、勝って勝ってアメリカのワシントンまで攻めこんで城下の誓いをさせると本気で言う人もあった。そう思った人も案外多かったであろう。浮いた戦勝気分というものである。
 しかし、私には分かっていた。戦争の勝負は軍事的勝負の後の、それぞれの国家の文化度の差が決めるのである。文化の低い国が文化の高い国に一時勝ったように見えても、それは軍事的勝敗で、時間がすぎると文化の高い国のほうが勝ってしまうのである。
 良い例は中国で、この国は隣接する野蛮な民族から攻めこまれて勝ったためしがない。そして蛮族が入りこんできて、一緒に生活するうちにその蛮族は同化して中国民になりきってしまい、いつの間にか滅んだはずの中国は復活するのである。
              *
 私は絶対非戦論者、いや非戦主義者であるが、それでも一国が自分の国のために軍事的防備がなくて独立国家として立ってゆけるか、どうか、ちょっと自信は無い。
 日本の憲法9条というものは、「あれは詐欺だよ、詭弁だよ」、と本紙に書いたことがあるが、それは現憲法の前文の可怪しさに目をとめているからである。そこになんと書いてあるか。
 「我らは世界の諸国の良識と善意に信頼していかなる戦争の用意も持たない」というような文面だったと思う。正確には覚えていないが。今の日本の安全はアメリカの核の傘の下にかくまわれているからであるとは、だれでも知っている。「世界の諸国の良識と善意に信頼して」などと安堵して言える、そういう国は世界のどこにも無い。
 いざと言う時にはアメリカだって、日本を放り出すことは間違い無い。太平洋戦争ではアメリカは一度、日本軍の猛攻に耐えかねてフィリピンを放り出して逃げ去ったではないか。
 国家というものは最大のエゴイストである。哲学として言えば、人は大集団になればなるほど、それに比例してエゴイストになる。会社でも政党でも宗教団体(!)でも、そうである。
 その意味では小さいことは良いことである。教会も大きいだけが良いのではない。教会も大きくなると堕落する危険が多くなる。こじんまりとした、しかし信仰と愛において強い教会を主は喜ばれるであろう。この理想はセル・チャーチの形成で活かされるであろう。ともあれ、自分たちの教会が小さいからと言って、恥じることはない。しかし、その上で更に大きくなれば、更に良い。
              *
 ロシアの文豪トルストイの小説に「イワンの馬鹿」というのがある。イワンという馬鹿な男がヒョンなことから王様になる。馬鹿な王様に馬鹿な国民。そこへ隣国から戦争をしかけて来る。
 馬鹿な王様と馬鹿な国民は戦争ということを知らない。乱入してきた兵隊たちが市民の家にあがりこんで略奪を始めると、「まあ、可哀想に。こんなものが無いのかい。さあ、持ってお出で。これも持ってお出で。さあ、ひもじいのだろう。このパンを食べてお行き」、という具合である。
 乗り込んできた兵隊たち、あっけに取られて、戦争にならない。ばかばかしくなって戦争を止めて国に帰ってしまった。
 こんな話だったと思うが、これがトルストイの非戦論の啓蒙小説である。この小説に感激して本気で非戦主義に生きたのが熊本の山村の地主の息子、北御門二郎さんだ。この人のことは、山村基毅さんが「戦争拒否11人の日本人」という本のなかで書いている。ちなみにこの本で私の徴兵忌避事件も取材されて「『禁酒非戦』の牧師」という題で載っている。
 この北御門二郎さんの記事を読むと、神経質な私と大違い。鷹揚なのである。のんびり徴兵検査を逃げて、あとでノコノコと役場に文書を出して様子を伺うような所がある。
 その結果、精神病者と見たてられて、あいまいに処理された感がある。戦後もずっと、トルストイを翻訳し、非戦主義者として生涯を全うされた。一度、お会いしたいと思って、お約束もしていたが遂にお会いできないまま、地上を去って行かれ、お目にかかれぬままであった。
 ともあれ、この「イワンの馬鹿」流の非戦主義は、現代の国際社会に応用できるかと考えると、それは困難だろうと思う。私はやはり神経質に考え過ぎる。それに引きかえ、北御門さんは十分にそれを信じていたように思われる。
 もし今、某国が核弾頭を東京や沖縄に打ち込み、ガス弾や細菌弾を日本列島に落とし始めたとする。「イワンの馬鹿」では対処できない。トルストイ流の人道主義では駄目なのだと、私は考える。しかし、別の道がある。出来ることがある。しなければならないことがある。「イワンの馬鹿」ではなく、「福音の賢明さ」でやるのだ。
              *
 キリストの平和に捉えられた政府要人と国民があるとする。少なくとも国民の八割がキリストの平和に保たれたクリスチャンであってほしい。そうなれば、日本の国際社会における態度、振舞、意見は世界に異常な影響と感化を与えるはずだ。
 エペソ2:14~16を適宜抜き書きして引用したい。「キリストはわたしたちの平和であって、2つのものを1つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ひとりの新しい人に造りかえて平和を来たらせ」云々。この内容をすべてのクリスチャンが持っており、これらのクリスチャンが8割以上をしめる国民となっているならば、その国の姿勢、外交、発言は違ってくる。
 もちろん、すでに軍隊はなくなっている。発言は常に誠実、裏表の違いはない。外交も国内の政治も教育も産業にも驕りがない。環境問題には敏感、貧しく弱い他国には常に親切、援助、難民受入れ、すべてに愛と真実。
 国民は神を楽しみ、教会生活を喜ぶ。大邸宅や宝石等に興味はない。贅沢な快楽、娯楽を知らない。ましてパチンコやアダルト・ビデオなど見向きもしない。また金を貯め込む喜びを知らない。人のために尽くすことを喜びとする。
 だから無駄な産業開発をしない。大工場も、大型ショップ、スーパー、郊外商業地帯もない。国民にいわゆる購買欲が無いのだ。ただ神を愛し、人に仕える喜びだけに生きる。決して禁欲している訳ではない。
 福音と文化は栄えても、いわゆる文明は不要である。文明というものは人間の快楽と便利さのためにある機械発達の偽文化である。日本はたぶん田園国家になる。
 つまり、日本列島は世界のカントリーとなるのだ。エデンの園の再来である。世界中の人々はこの国を故郷のように思う。毎年、この国を訪れる。この故郷のような国に攻めこんで来る国は一国もない。こういう日本になりたい。《く》 
(2005・12・15、祈祷会にて)

〔あとがき〕
日本民族総福音化の時代が達成するとき、この日本列島カントリーが実現するわけです。本題は、橋本先生の「田舎(カントリー)牧師」という本が気に入って、そのカントリーという言葉を拝借しました。橋本先生に感謝します。佳きクリスマスをお迎え下さい。《く》
[PR]
by hioka-wahaha | 2005-12-18 00:00 | 日岡だより
<< No.208 今日もクリスマス... No.206 救いと報い、信仰... >>