No.769 私はすでに死んでいるのです 2016.10.9

私はすでに死んでいるのです

 本間俊平、彼は明治、大正、昭和にかけて非行少年の父、秋吉台の聖者とうたわれ、その元気のよい著書は当時のベストセラーとなりました。
 ナマの日本人が熱血をむき出しにして、学歴なき労働者のあらくれ魂でキリストを信じたらどんな人間になるか、そのよい見本が彼でありました。
 本間俊平が、そういうすぐれた人物に成長した原因の一つは、彼の両親の死にあるようです。
 青年俊平は誤解をうけて失職し北海道小樽で両親と別れ東京に出ます。当時明治二十七年日清戦争のさなか、大倉組に拾われて軍需労務にたずさわり朝鮮にわたります。それは軍事行動の一環ですから当然極秘とされ、両親には音信不通。その間老いた両親は小樽より函館までトボトボと無銭旅行の末、十一月十二日寒風吹きすさぶアイヌ漁村の小屋の軒下で手を取り合って凍死するのです。
 戦争が終って日本に帰った俊平はこれを聞いて号泣しました。この悲惨な両親の死をその後夢の間も忘れることができなかったでしょう。この事が本間俊平の人生に発奮をうながした事は疑いもありません。
 
 太平洋戦争直後、フィリピンで戦犯となって逃げていた男、ある処で親友と二人でかくれていました。そこへMPと現地民にふみこまれ、思わず彼Aは親友Bをすてて逃げ去りました。
 その後Aはどさくさにまぎれて日本に帰りましたが、占領下の日本では戦犯として安じて眠る処もなく、故郷にも帰れず、Bのことで良心もとがめて気分も重い、ついに放浪と淪落の人生。山谷のドヤ街でアル中で倒れている時、浮浪者伝道のK牧師に会いました。
 K牧師はAの口から彼の名を聞いておどろいて言いました。
「Aさん。私はあなたをずっと探していましたよ。もうあきらめていましたがね。あなたはB君を知っているでしょう。」
「B君! どうして彼の事をあなたは?」
「彼はフィリピンの刑務所で死にました。私はその時、死刑執行の立会人だったのです。死刑の寸前、彼は言いました。私の本名はBです。私の事を日本に帰ったら、私の親と、そしてAに知らせて下さい。私はAの名で捕えられ、Aの名で死んでいきます。これは自分で承知でした事です。彼は親友でしたからね。彼に安心するように伝えて下さい、と。」
 Aは茫然として声も出ません。牧師は言う、
「だからAさん、あなたはもうBさんの死刑と同時に死んでいるのですよ」
「ホントです。―――すると、今ここに生きているのは?」
「あなたではなく、Bなのですよ」
 実は、このフィリピンの身代り戦犯の話は架空の物語です。しかし、終戦当時としては、よくありがちな事でした。
 
 さて、キリストの死はこのB以上の事です。彼は親友のために死にましたが、キリストは不信不義のもののために死んでくれました。
 キリストの十字架において、私も同時に死んでいます。これは「死んでいる」という実感以上に、一種の「法的事実」なのです。
 「現に私は生きているけれど、生きているのは私ではなくて、私の中にキリストが生きているのだ」
 これを肉体的生命感覚として捉えようとすると分らなくなります。しかし、私のために死んで下さったキリストを慕い、痛悔し、感動し、感謝し、従い、仕える熱情のおこる時、私の中に新しい人格が形成されます。それが内なるキリストです。あたかも、本間俊平が両親の死を生涯胸に抱いて生きたであろうように。
 テレビの機械に電気がいり、その回路がウォーミングアップされる時、遠くのTV局の映像がブラウン管に写ります。私どもの胸にキリストを思う心の熱くなる時、キリストの生命は私どもの心にはっきり写ります。
「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ人への手紙二・19下~20中)
 (一九七九・六・七夜 中野家家庭集会にて)
 (1979.6.10週報「キリストの福音」より)
 


[PR]
by hioka-wahaha | 2016-10-15 14:56 | 日岡だより
<< No.770 《聖書のことば》... No.768 《聖書のことば》... >>