No.765 困難にぶっつかった時 2016.9.11

困難にぶっつかった時

 一、人生は火事にあった家のようなものである、と仏教では教えます。火事の現場に行ってみると、出火して逃げまどう被災の人たち、物見高い愚かなやじ馬の連中、そして消火にあたる勇気ある人々、それらのすべての人の上に火の子は舞うのであります。
「人が生れて悩みを受けるのは、
火の子が上に飛ぶにひとしい」(ヨブ記五・7)
 たしかに、火は家財を焼き、家をもやし、人を無一文にします。しかし又、火は金属などをきたえ、純粋にするのであります。
「彼(神)がわたしを試みられるとき、
わたしは金のように出て来るであろう」(ヨブ記二三・10)
 ロシヤの格言に「ハンマーはガラスをくだくが、鋼鉄を強くする」というのがあるそうです。
 私は中年すぎて、事業をはじめて三年目の頃、最大難関の中で、この格言をカール・ヒルティの「幸福論」の中で学び死にかけた不死鳥が生き返ったかのように元気を取りもどしたことがあります。ですから、おそって来た困難を「何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく」(第一ペテロ四・12)、学校の子供が宿題をもらったかのような態度で受け取るべきなのであります。

 二、徹すれば通じる。(世間では「窮すれば通ず」と言うが、それでは少々捨てばちで消極的です)。信仰をぬきにした処世論としても、これは推賞できる真理です。こういったたぐいの本で抜群なのは、デール・カーネギーの「道は開ける」です。この中に、問題を解決する為の三法則がのっています。すなわち、
1. ぶっつかっている問題を冷静に観察し分析し、その結果を考える。
2. その起こってくるであろう結果の最悪の状況を覚悟する。
3. そこで、考えられる解決策のすべてを列記し、その良策と考えられる点と時間の制限をにらみあわせて順位№をつけ、早速№1より手をつける。
 右の三法則の中の第二を「不可避なことは受容する法則」と言います。交通事故で足を失った人は、もう二度とその事をくやまず、足の無い事実を受け入れて心のエネルギーを他のことにまわせ、と言うのです。
 私は若い時どもりでした。今でもどもると言えばどもるようです。何度か矯正所にいきましたが、矯正用語が上手になるだけで、社会にもどれば元のまま、困りました。今のようにスラスラしゃべり出したのは内在のイエス様が本当に分ってからです。ところで最近、大分県教育センターの言語治療室に佐世先生を訪ねて聞いてみたら、最近の方法はどもりを治すのではなく、どもりを受け入れて、大胆にどもるように指導するのだそうです。これこそ、この第二法則ですね。
 神経質の療法で森田正馬博士の「あるがままに受け入れる」という方法は、今ではもう世界的に有名であります。たとえば、不眠症の人に「無理に眠ろうとせず、不眠症の自分をそのまま受け入れて、眠らずにいなさい」とすすめるのです。
 ヨブは言います、「われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」(ヨブ記二・10)。災がきたら、これから逃げようとしないで、真正面に受取るのです(体ごと真正面に球をとるのが野球の守備の原則であるように)。
 イエス様はゲッセマネの最後の夜で、来たるべき十字架の死を「御心のままになさせ給え」と受けとめました。苦悩を満ち足りるまでに受け、にがい杯をのみほし、おのれを打つものにほおをむけることは、かえって苦難や八方ふさがりの状況より脱出する道の第一歩なのであります(哀歌三・1~33を参照して下さい)。

 三、「十字架のメドを通って」。これはかって聖燈社から出た腎臓結核の女性の信仰闘病記で、よく読まれた本の題です。メドとは針の穴のことです。十字架にも針の穴のようにメドがあるのでしょうか。
 ①針の穴でも、そこからすかして見ると前方の景色が、一風変った感じで見えます。
 さて、十字架のメドを通して世の中を見、艱難や問題を見ると、どのように見えるでしょう。あなたの問題となっている、不眠症や、おしゅうとさんの事や、事業不振や、子供の不従順、それらをキリストの血汐流れる十字架を通して見るのです。
 ②針はあらゆる布地をくぐりぬけて行くように、十字架も又、あらゆる問題をくぐりぬけて行く力があります。あなたの罪も、罪意識も、病気も、家庭も、事業も、あなたの人生のすべてと宇宙のすべてをも。
 ③あなたがもしその十字架のメドにあなたのすべてを委ねるなら、糸が針について行って二枚の布地を一枚に縫いあわせるように、あなたの人生や社会観の矛盾する処をすべて縫合する事ができます。十字架は一切を止揚して一つに帰せしめる神の秘儀です。
 「この十字架によって世は私に対して十字架につけられ、私の世に対するも又しかり」(ガラテヤ六・14)とパウロは言います。あなたは信仰の第一の入り口でキリストの十字架のあがないにより罪を許され神の子とせられました。その原点に帰って、あなたも、あなたの困難・試練・障碍ももろともに血汐にとかされてしまうとよいのです。(四月一八日夜祈祷会の「苦難や障碍に処する道」というメッセージの要約)  
 (1979.4.22週報「キリストの福音」より)



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by hioka-wahaha | 2016-09-17 12:26 | 日岡だより
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