No.764 クリスチャンの成功法則 2016.9.4

クリスチャンの成功法則

 一、成功の法則

 この地上で、人が成功するための心の法則のようなものがあります。それはイエス様の十字架と復活を信じる福音の中心意義とは少々はなれた処にあります。しかし、イエス様の教えにも、またイエス様を信じるすぐれた信徒達の生活にも、この成功法則にぴったりするものがたくさんあります。V・ノーマン・ピールの本や趙ヨンギ先生の説教にも、それがしばしば顔を出すのであります。いわゆる「成功の法則哲学」はキリスト信仰の最重要の面を欠いているが、しかし逆にそのすべては聖書の中に見出されるのであります。
 三浦綾子さんは初め、「あなたはキリスト教信仰を表面に出しては作家として成功しませんよ」との忠告を受けましたが、彼女は作家として成功することよりもキリストを信じる信仰表明することを第一の目的と考えました。―――この目的をはっきり抱くこと、これが世に言う成功の第一法則であります。
 この三浦綾子さんの最近の本に「天の梯子」というのがあります。この本の中に長尾巻さんという賀川豊彦先生の恩人になる方の話がのっています。この長尾巻先生は、賀川先生が青年時代肺病のとき何も言わず家に入れて助けてくれた人であります。この長尾巻先生が金沢で開拓伝道の時、信者が一人も来ず五年間奥さん一人を前にしてうまずたゆまず説教したそうです。この忍耐の力の秘密は多分先生の祈りの生活にあったのであろう、と三浦さんは書いていますが、その祈りを日夜ささえるものこそ、目的意識であります。
 後に長尾巻先生が金沢を出る時、駅には市内の名士より乞食までプラットホームにくりだして見送りしてくれたと言います。さて前述の成功の法則に、第二を書き加えましょう。それは継続であります。

 二、いわゆる成功哲学の挫折

 この前、俳優の田宮二郎が自殺しました。彼は大事業家を夢みて、積極的に目的をかかげ努力を傾注する成功哲学からぬけ出たような男でありました。しかし、最後は悲惨なあの始末です。豊臣秀吉の晩年の孤独、ナポレオンの流刑死、ヒトラーの自殺、これらにはすべて何か別の法則が働いているように思えます。
 旧約聖書に出てくるダビデ王のことを学んでみましょう。ダビデは預言者をとおしてイスラエル二代目の王として任命をうけましたが、それは内密のことで、現実には却って初代の王サウロに追われる身となりました。目の前はまっくらです。時にはサウロ王を殺す事もできる場面がありましたが、反逆罪をおかすことは神にも正義にももとると考えて手を出しませんでした。こうして、ひたすら時をじっと待ったのです。
 この時、ダビデは「目的を忘れず、努力を継続する」のは勿論ですが、それ以上に「①自分の目的が神から出ている事を自覚し、②神と正義を畏れ、③神が事を成し給うと信じてじっと待った」のであります。この①②③を忘れて、むやみやたらと人間欲に目もくらみ、神にさからう成功を望んでも、一時は栄えても所詮最後は滅亡なのであります。
 先日の新聞に、金大中氏の手記が出ていました。精神的に参るのを防ぐには「あわてるな、あせるな」ということだとあります。あせるのは不信仰であります。あせると、―――最後は自殺です。

 三、神による「成功哲学」

 目的をはっきり持つには、その目的を「①文章に書くことが出来る、②具体的に幻を描くことが出来る」ことが必要です。その目的を、キリストの十字架という尊いふるいにかけてカスを取りのぞき、キリストの血汐のフィルターをかけて、無より有を呼び出す神の力を信じて見つめるのです。それをあなたの心にある神の網膜に焼きつけて、万物の原因の源を動かすのですよ。(私の中にあるキリストの霊こそ神の網膜なのです)。
 趙ヨンギ先生の証しに、ある婦人が売春婦である娘の更正を祈ろうとして、どうしてもその汚らわしい娘の更正した清らかな姿を考えることができない。その時、先生は「キリストの血を通して娘さんを見なさい」と忠告しています。しかり、私どもの罪をあがない給うキリストの血をとおして見る時、私等も又、罪人や悪人を神の子として見つめ得るのであります。かって私が救われた時と同じように……。ですから、許しと救いの確信がなければ真の成功哲学は成り立ちません。世間にあるビジネスマンの積極思考的成功哲学はシンキロウのようなものです。時がたつと、あとかたもなく消え果ててしまいます。

 四、クリスチャンよ、元気を出せ

 使徒パウロは難破しかけている船の中で、人々をはげましました。
 「皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている」(使徒行伝二七・25)
 パウロこそ、成功哲学の模範であります。これに比して現代のクリスチャンの多くは、この成功の法則を知りません、無視しています。そして苦難に忍従し、屈辱に甘んじ、貧乏し病気している事を神の御旨と思っています。いわゆる「現代のヨブ」の方々を私は尊敬し決して辱める気はありません。しかし、ほとんどのクリスチャンにはぜひ「回復のヨブ」になってほしいと思うのであります。(一九七八・一二・三一メッセージ)  (1979.4.15週報「キリストの福音」より)









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by hioka-wahaha | 2016-09-10 12:23 | 日岡だより
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