No.758 聖書のことば4題(「義人はいない」ほか) 2016.7.24

《聖書のことば》
義人はいない

「義人はいない。ひとりもいない」(ローマ三・10)
 
 私の名は「義人(よしと)」と言います。少年後期より青年前期にかけて、私はこの自分の名前で苦しみました。学校で名前などを呼ばれる時、自分の偽善と虚飾とその他内面の罪があばきたてられるようで、自分の実際の姿とあまりに相違する名前に冷や汗をかいたものです。
 昭和十九年の秋、私は福岡刑務所の独房にすわっていましたが、その時私の罪責感不法感は益々深刻でしたがそして、その深刻のきわみに、「お前は私と共に死んだ」との御言にふれて回心したのでした。
 十一月二十三日の夕刻、私の回心記念日です。その時より、「義人(ぎじん)」の名は私にとって喜びとなりました。
 (1978.11.19週報「キリストの福音」より)


《聖書のことば》
人をゆるしなさい

「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」(「主の祈り」より・マタイ福音書六・12参照)
 
 主の祈りの、この箇所は、「こんな大それた祈りは私には出来ません。私には人を許すことなんて出来ません」と言って、多くのクリスチャンを悩ませるところです。
 しかし、もし私たちがイエスの血によってゆるされているのなら、「わたしがあわれんでやったように、お前も仲間をあわれむべきではなかったか」という主の言葉を、すなおに聞くべきです(マタイ一八・33)。
 多くゆるされた者は多く愛し得るのです(ルカ七・47)。神の子となる力を与えられた(ヨハネ一・12)者にはそれが出来るはずです。
 (1978.12.3週報「キリストの福音」より)


《聖書のことば》
弁解はよしなさい

「わたしの友は私をあざける、
しかしわたしの目は神に向って涙を
注ぐ」(ヨブ記一六・20)
 
 ひとりひとりに、ふれまわって、私の無実の罪、いわれなき非難、人の誤解に対して弁解したい時があります。時には主の栄誉のために一言弁明するのが良いこともあります(第二コリント一二・19)。しかしたいていの場合は口をつぐんでいるのがよいのです。
 
「見よ、今でもわたしの証人は天にある。
……ほかにだれがわたしのために
保証となってくれる者があろうか。」
(ヨブ記一六・19、一七・3)
 
 目を天にむけなさい。いつか必ず主があなたの正しさをあらわすでしょう。弁解はよしましょう。日本男子じゃありませんか。
 (1978.12.10週報「キリストの福音」より)


《聖書のことば》
飼葉おけ

「あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」(ルカ二・12)
 
 ユダヤの飼葉おけは、日本のような木製ではなかったもののようです。それは陶器であったというのです。何だか、冷たい感じです。どちらにしても、寝心地の良いベビーベッドではありません。金のかざりも無ければ、イルミネーションもありません。
 しかし、そこに信仰ふかき善良なる両親、そしてやさしき家畜、そこへ労働者仲間の羊飼いがやってくる。何よりもよい事は、彼らには天使の歌がきこえ、神の御旨が信じられた事です。貧しい飼葉おけは決してみじめなしるしではないのです。
 (1978.12.17週報「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2016-07-30 16:03 | 日岡だより
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