No.757 今週の聖句「無罪の宣告」/イエスより復活の生命を受けよ 2016.7.17

《今週の聖句》
無罪の宣告

「私たちを罪に定めるのは誰か。キリスト・イエスですか。とんでもない。このお方こそ、死んで、否、よみがえって神の右に座し、現に私たちの為にとりなして下さる方なのである」(ローマ八・34私訳)
 
 最近、ある殺人事件で、一審で無期の判決をうけた人を、今度は二審が無罪と宣告しました。人間が人間をさばく事がいかにむつかしいか、というよい実例です。人はまた、自分で自分をさばくものです。そういう人は、良心的にすぎて、ノイローゼか自殺に追いこまれます。
 本当に人をさばき得るのは神のみです。「神のさばきに誰かたえ得んや」であります。しかし、神のひとり子のイエス様の愛のゆえに、私たちは「罪なし」とせられるのであります。
 (1978.11.5週報「キリストの福音」より)


イエスより復活の生命を受けよ
   ―ルカ七・11~15による奨励―

 イスラエルのナインという町に、イエスの御一行が来られました。その時、町の門より葬儀の行列が出て来ました。一方は「私は命である」と仰せられたイエスを先頭に、一方は死んだひとり息子のなきがらを先頭に。
 葬儀の行列には、多くの人が、その母親につきそっていました。しかし、いくらたくさんの人が彼女につきそってくれても、彼女をなぐさめ力づけるには、あまりに無力でありました。本当に彼女をなぐさめることの出来るのはイエスさまお一人であります。イエスは真実の愛と、また息子を生きかえらせて下さる力をもっていましたから、
 さて、この人生において、あなたは死の行列に属していますか。それとも生の行列に属していますか。
 
 このナインの町の未亡人は、イエスが棺の前に来たとき、はたと足をとめました。行列もとまりました。
「このお方に、この死んだひとり息子をおゆだねするがよい」
 聖霊のささやきが、このように彼女の魂に語りかけたのに相違ありません。そこで、彼女は死の行列の一員であることを拒否しました。そして生命の主であるイエスに、彼女の死児をおゆだねしたのです。
 ところで、あなたにとって「死児」とはなんでしょうか。失恋でありますか。それとも、上司の無理解? サラ金? 事業失敗? 子供の家出? 夫の病気? それらのすべてを(それがあなたの死児です)、イエスの御手にゆだねましょう。
 
 イエスは死人に「起きよ」と命じられました。人が石に命じて立ち上がらせられるものなら、この場合、死人が起きてくるのも簡単なことですが、イエスは人間にとって不可能な事を口にされました。そしてイエスの御言葉どおり、無より有を呼び出すごとく、奇蹟はおこりました。人には出来ないことも神には出来ます。
 私(釘宮)はかつて、ウジ虫のごとく意気地のない神経衰弱の青年でありました。全く気力をなくして、牢獄の中から、外で心配しているに違いない母親にハガキ一枚書けないのでした。ちょうど今頃(十一月)、私は地獄の火をまざまざと見たような無残な状況下で、イエスの言葉を心に聞きました。この生けるしかばねのごとき私に、イエスは
「お前は、私と共に死んだ。そして今生きかえっているのだ」
 と言われるのでした。その言葉は私の心底をつらぬき、大氷山を一瞬にとかす大熱線のように、私を作り変えました。あなたも、聖書をお読みください。いつか必ず、イエスの言葉をお聞きになるでしょう。
 
 イエスは、この生きかえった息子を、その母親にお渡しになった、と聖書にあります。その時、母親は息をはずませ、喜びと感謝の心いっぱいに、息子を抱きかかえるようにして受け取ったことでしょう。
 みなさんにお聞きしたい、この時、この婦人は、
「いいえ、主よ、ちょっと待って下さい。私にはこのことが信じられません。これは果たして真実かどうか、科学的に調べてもらって、本当に生き返ったわが子なら受け取ります」とか
「私はこれまで一面識もないあなたに、こんな事をして頂いて勿体ないです。せめて御礼に五十万円用意してまいりますから、それまで待って下さい」
 そんなことは言いますまい。この婦人は、全く無代価で、一瞬のちゅうちょすることなく、自分の手にわが子を受け取っていたことでありましょう。
 あなたの人生に、復活的生命力を与えて、霊に心に肉体に物質世界に、救をもたらすイエス御自身を、無代価で、すなおにお受け入れ下さい。(十一月十六日原家家庭集会における奨励)
 (1978.11.19週報「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2016-07-23 14:29 | 日岡だより
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