No.755 今週の聖句3題/聖書の教えの三つのライン 2016.7.3

《今週の聖句》 
愛は神より出る

「愛は神より出る」(ヨハネ第一書四・7)
 
 ここで「愛」と訳されている言葉は原語のギリシャ語では「アガペー」といって独特な言葉です。
 日本ではぶりという魚に、成長につれて幾通りもの名で呼ばれるのだそうです。ギリシャはさすが哲学の国、愛に対する用語が五つもあるのです。知的学問愛、友情の愛、親の愛、性的愛。
 それらの愛を超絶して、神が罪人を許し受け入れる愛、正しきものが罪人をあわれむ愛、許しがたき仇敵の為に死をとして愛する愛、そういう愛を「アガペー」というのです。
 そのような愛は、人間は持ちあわせていません。そういう愛はただひたすら、神より出るのみです。
 (1978.10.8週報「キリストの福音」より)


《今週の聖句》
宣教のおろかさ

「そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである」
 (コリント第一書第一書21節)
 
 教会では、いろいろと分りやすいように説明して、人々に信仰をすすめる。言葉の解釈とか二千年前のユダヤ人の風習の説明とか。
 しかし、最後に残る聖書の不可思議さは説明しきれない。商品を売ったり、入会をすすめたりする時のように、説明や計算でなっとくして頂いて、クリスチャンになってもらう事は困難である。いや不可能と言ってよい。
 ただ一方的に聖書からあなたに流れる宣教の言葉が、ある日突然あなたの心の壁をやぶって、あなたの心にキリストの火をやどす日まで、ただ一途に理解されにくい神の言を語り続けるのが「宣教の愚かさ」なのである。
 (1978.10.15週報「キリストの福音」より)


《今週の聖句》
世の光

 「あなたがたは世の光である」
 (マタイ福音書第五章14節)
 
 これはイエス様が山上で弟子たちに語ったいわゆる〝山上の説教〟の中の一節です。ここで光とは、端的に言えば良い行いのことなのです。良い行いを、あたかもあかりを燭台の上において部屋を輝かすように、人々の前に見せなさい、とイエス様は言っています。
 これは、人前で祈ったり断食したりする宗教家の偽善をきらったイエス様のお言葉とは思えない趣きがあります。
 善い行いを、端的に人前でスッとして見せる事は容易ではありません。道でゴミを拾う。大衆食堂で食前の祈祷をささげる。これを淡々とやれる人は、たしかに光の子であります。
 主よ、私を光の子にしてください。
 (1978.10.22週報「キリストの福音」より)


聖書の教えの三つのライン

 あたかも、三本の緒をそれぞれねじて互にからませ、一本の強靱なロープを作るように、イエス・キリストの福音には三つの大きな教えの流れがある。
 その第一は、イエス・キリストはわれらの罪のあがない主、われらの病の担い主ということである。律法の前に弾劾され、のろわれた私達を救う手だては、主の十字架にのみある。これは神自ら義となるため、ひいて罪人を義人と宣告し、神の子としての身分を与えることである。罪責感や自己れんびんに悩む人々はこの福音がよく悟れていないのである。
 第二は、イエス・キリストは悪魔に対する勝利者、悪魔・悪霊に奴隷とされたわれらの解放者であるということである。すべての権威を足下にして神の右に高くあげられたお方こそ、われらの主である。能力的伝道の秘訣はこの信仰にある。
 第三は、イエス・キリストの愛により、われらは愛を知り、その故にわれらは互に相愛すべきこと。愛が最高の律法であり、聖霊の賜物であること。愛なくばいくら「主よ、主よ」と言っても、大なる業を為しても主はかえりみられない。互に愛しあいなさい、これがイエスの最大の戒めである。教会形成の最大の秘訣である。(九月十三日祈祷会のメッセージより)
 (1978.10.1週報「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2016-07-09 13:11 | 日岡だより
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