No.752 今週の聖句4題(「宇宙的充満を味わえ」ほか) 2016.6.12

《今週の聖句》
宇宙的充満を味わえ

「この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。」
 (エペソ人への手紙一・23)
 これはパウロがローマの牢獄の中にいて、エペソの教会のクリスチャンにあてて書いた手紙の一節。囚人のくせして、このパウロの自信満々たる発言は、どこから来るのでしょう。勿論、この「教会に満ち満つるキリストの臨在の信仰」でした。
 この聖句は、日本文では少々まわりくねっていて理解に手間取るところがありますが、要するに「万物充満者が、我らに充満する」という途方もなく大きいイメージであります。この聖句を何度も告白(コール)してごらんなさい。必ずや宇宙的充満感覚を味わえます。
 (1978.8.6週報「キリストの福音」より)


《今週の聖句》
全力をつくせ

「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはない」(第一コリント一五・58)
 
 「ただ信仰のみ」を強調し、がんばりや努力を否定するあまり、無気力で消極的なクリスチャンになっている人を見かけることがある。極端な例では、老人になって生活費の一端を浴場掃除のアルバイトに行って得ているのを、これは不信仰な業ではないだろうかと、心配して相談されたことがある。
 「すべてあなたの手のなし得る事は、力をつくしてなせ」(伝道の書九・10)。パウロの手紙には「努力」という言葉が四回も出ている。パウロは実に無類の努力家でああったのである。信仰による努力はむだにならない。
 (1978.8.20週報「キリストの福音」より)


《今週の聖句》
怒ることがあっても

「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」(エペソ人への手紙四・26)
 多くの人の怒りは、自己本位の防御本能か早合点の批判精神が、カンシャク玉を破裂させたという程度のものです。本当の怒りは、(イエス様も怒ったことがあります)正しい判断のもとに、不正不義に対して発せられる勇敢な抗議です。その時、右の頬を打たれれば左の頬をさし出すくらいの余裕が必要です。すぐカッとなるのは、あやまちの元です。又、夜寝る前には興奮をおさめてしまうことです。カラリと忘れることができない怒りは、多分恨みをもふくんでいるのでして、悪魔のつけ入る隙です。精神衛生上にも不健康です。
 (1978.8月臨時号週報「キリストの福音」より)


《今週の聖句》
罪人を招く……

「わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイによる福音書九・13)
 
 このイエス様の御ことばに接すると、日本人の多くは、親鸞の悪人正機論を思い出すであろう。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というのである。蓮如も言う、「心の悪さや妄念妄執を止めよと言うのではない。何の業にせよ、あさましい罪業に日夜惑うヤクザな私を助け給う如来の本願を深く信じ一心にすがるのみであります」(御文章一帖目第三通二~四節意訳)と。
 人間は救われても罪人である。信仰に入ってクリスチャンになっても相変らず変りばえせんなァと落胆している人々は、この救いの徹底さが心根に徹していないのである。
 (1978.9.3週報「キリストの福音」より)




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by hioka-wahaha | 2016-06-18 10:31 | 日岡だより
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