No.748 母の愛、神の愛/聖書は預言者を生む 2016.5.15

母の愛、神の愛

家出娘を探そうとして、ある母親はポスターを作りました。娘のかわりに自分の写真を刷り込み、「お母さんは待っているよ」と書いて、バーやキャバレーや駅やお風呂屋さんなど、あらゆる処に貼って歩きました。恥ずかしいことでしたが、娘のためには恥も外聞もかまいませんでした。母親は子供を愛したからです。

母親の愛にまさる愛はこの世にないかもしれません。しかし、それは自分の子供にのみ限定される愛です。神の愛は、母親の愛にまさります。神の愛はすべての人に、そして罪人にさえ向けられる愛なのですから。
 (1978.5.14週報「キリストの福音」より)


聖書は預言者を生む

 ここに「醒(さ)めよ日本」という文章があります。
「醒めよ日本。
なんじは神のあたえ給うものを無視して、
〝米が出来すぎて食えぬ目にあう〟
などと不平をもらし、
しかも〝減反〟など、神に対し不尊きわまる言動をなす。
今にして悔改めずば
見よ、飢饉きたりて、
汝らは食わぬ罰にあう時が来るであろう」
 
 この文章が四十五年前の昭和八年十一月一日発行のある小雑誌に書かれたものであると知れば、たいがいの人はびっくりするでありましょう。
 これを書いたのは、大評論家でも、大政治家でも、大宗教家でも、ありません。九州の一角にすむ一商人にすぎないのであります。ただし彼は、内村鑑三を尊敬する(内村鑑三には一度も会ったことはなかったそうですが)無教会主義のクリスチャンでありまして、信仰を生活に活かし、地方の小都市において多少名の知られる実業家として、些かも世に妥協せぬその実生活ぶりを〝復活〟というミニ雑誌に発表しつつ、伝道につとめたのであります。
 冒頭の文章は、その〝復活〟の第一八〇号に出ているのであります。漢字を当用漢字に近づけ、かなづかいを現代風にあらためたほかは、原文のままであります。昭和八年当時の風潮を考えあわせてみて、この文章がいかにおどろくべき〝預言〟的風格をもっているかを指摘せざるを得ません。
 聖書は預言者を生むのであります。
 
 ひきつづき、次のように書かれています。当時は特高の検閲のきびしい時期でありまして、文中○○とあるのは、いわゆる伏字であって、「軍部」とか、「無産者の暴動」とか、適当な文字をあてはめて判読してみてください。
「醒めよ、日本。○は神をおそるることを知らず、外交をすてて○○をたのみ、○○○○○○して、そのばん勇をほこる。なんじ今にして悔改めずば、汝の○汝の上におよぼし、なんじ自らの○○に倒れ、おのれの掘りし墓穴に入れられるであろう。
        *
さめよ日本。なんじはむやみに正義の言論に対して迫害断圧をくわえ、おのれ自ら自殺せんとしつつあり。言論の圧迫は暴力の奨励である。このままにて進まんか、さらに○○○○○○おこり、○○○が蜂起するであろう。
        *
さめよ日本。○○あたりでは、ヒットラーのまねでもあるまいが、しきりに強硬外交をとなえているとか。(中略)
日本よ、なんじはまず神をおそれ、おのれ自身の罪を知り、十字架を仰ぎて、正義の上に固く立ち、外交はよわくして然も最後まで戦い、兵は強くしてしかも戦わざるようつとめよ。これ正に平和の道であり、日本魂と武士道をあたえられた汝の使命であらねばならぬ。」
 
 この著者は私の伯父釘宮徳太郎であります。彼は昭和十一年二月二十七日に急性肺炎で死亡。ただし、あたかも二・二六事件の翌日でありますので、東京の友人達は彼も二・二六事件と同様の軍人の反乱軍の手で倒れたのであろうと、トッサに思ったそうであります。
 この伯父の〝復活〟旧号の残部が、だいぶ汚損していますが、昭和六年より同九年の分まで、多少欠号はありますが、このたび発見されました。その事情は、この週報第一九号に書いたとおりであります。
 いわゆる十年戦争当時、硬骨にして牧師、先生ならざるソロバン片手のクリスチャンの手になる信仰雑誌(特に日記スタイルですので当時の小都市の政治・経済・家庭・集会の様子がありありとわかる)は希有なものかもしれません。少数の人にとっては得がたい資料かもしれません。
(1978.5.21週報「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2016-05-20 09:46 | 日岡だより
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