No.746 明治・硬骨のクリスチャン 2016.5.1

明治・硬骨のクリスチャン

 大分市大道町六丁目にある〝大徳本店〟という家は、私の父の実家であります。先日、上水場の係員のミスで晴天下に時ならぬ山津波状の災害をおこし、その被害を真っ向にうけて、当主内藤利兵衛兄ら御一家に人身事故がなかったのが不思議なくらいの、おそるべき事でありました。
 それより二、三日して、利兵衛兄より「あげたいものがあるから取りにおいで」と電話なので、行ってみると、伯父徳太郎の出していた雑誌「復活」の保存版や、その他貴重な資料の数々です。小生、大喜びで挨拶もそこそこに自動車につめこんで帰ったのであります。
 
 さて、あの〝大徳本店〟の家は、もともとは酒造業の旧家の家にて明治八年に建てたものだそうであります。それを釘宮家が明治か大正の頃に買い取って移ってきたのだと思います(釘宮家はもともと旧稙田村下宗方の産)。この家の大黒柱を見ますと、大人がひとかかえもするような大きさ、赤茶けて底光りしているこの柱の材質は何でしょうか、ともかく釘を打っても入らずに曲ってしまう。昔式に一本一本鍛冶屋がきたえあげた釘でないと、曲ってしまう、いかな上手な大工もお手上げです。そのかわり鋼鉄ばりの固い釘を一度打ち込んでしまえば、今度は絶対に抜けない、そういう昔式の柱を見て帰ったわけです。
 
 帰って、さっそく胸おどらせながら伯父徳太郎の主筆雑誌〝復活〟の旧号を見ていると、昭和三年七月三日のところに、こんな文章があります。
「我家の系図を見ると我家は元藤原家であったが我が先祖、宇佐神宮に三七日の間参籠して聖くして確(かた)き姓を賜らんことを祈願した処が〝聖きものは宮なり。しかして確きものは釘付けなり。よって汝は釘宮ととなうべし〟とのお告げを受け、それより釘宮を姓としたりと書いてある。今朝、日課の聖書をよむと〝我らをしてその聖所にうちし釘のごとくならしめ給え〟(エズラ九・八)とある。どうか自分もこの聖句のごとく、又その姓の如く、名実共に神の前にきよく、またいかなる悪魔の誘惑にも打ち勝つ確き信仰を与え給えと祈った」
 人間は誰でも、家系誇りしたい気分があり、それを自慢する本人はたいそう喜んでいるが、はたの者はそれ程うれしい事ではないと思うので、こういう文章を週報にまで紹介するのは気がひけますが、しかしこうしてすぐに聖書を引用し、自分の信仰のはげましにする処が、この伯父の良い処であります。
 
 〝復活〟という雑誌は、紙面の大半を釘宮徳太郎の日記でうめているという特異なスタイルであります。説教や聖書解釈よりも、発行者自身の日常の生活をそのまま前面に押し出している、堂々たる面構えであります。徳太郎伯父は一介の商人でありました。その間十年程の日本最初の公設市場なるものを創設、そこの理事として市の給料をはみ、遂に悪人どもより逐われるという事もありました。その後商工会議所議員として勇名を馳せ、ガンジーのニックネームは有名でありました。そういう市井の政治・経済の中に活躍しつつ、交際する重要メンバーにはみなこの〝復活〟は送付したわけであります。ですから、ウソもキレイごとも書けない、多くの人に嫌悪と衝動を与える。そういう身をもって示す警世の書でありました。
 
 読んでいておどろいたのは、日記はその日か翌日に必ず原稿用紙に書いていたらしいが、それが後日いかに都合わるくても削除したり訂正したりしなかったらしい。私などだったら印刷寸前でもいろいろ第三者に対す当たりさわりを思い校正時に文章をいじるのであるが、それは不誠実であるとして絶対しなかったらしいのです。大したものです。軍国主義時代になると、かなりの発売禁止をうけ、特高にも再々出頭している。この明治生れ硬骨のクリスチャンを伯父にもったことを私は本当に誇りにしたいのです。
 
 最後に〝復活〟誌の欄外に毎月印刷してあった彼の信仰標語を紹介する。
「神を信ずる、これ我らの唯一最大の事業なり」
「不信者のてきめんの刑罰は品性の堕落である」
「礼拝は誠実なる日々の労働なり」
「実行は有力なる祈祷なり」
「キリスト教とはキリストの復活証明なり」
「キリスト教とは十字架と血の教えなり」
「求むべきものは成功にあらずして正義なり」
「困難をへずして深き信仰は得られず」
「伝道とは我が心に実験せし神の救を世に発表することなり」
「すべて汝の手に来ることは力をつくして之をなせ」
(1978.5.7週報「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2016-05-05 09:48 | 日岡だより
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