イエスはなぜ死んだか 「金も命も名もいらぬ。そういう人でなければ大事はできぬ」 と大西郷は言ったそうです。 イエス様こそ、本当に「命もいらぬ、名もいらぬ」という人ではなかったでしょうか。弟子にそむかれ、国民にすてられ、素っ裸にされて、極悪人のように十字架上に殺されました。名誉も何もあったものではありません。 ユダヤ人は、古代ローマ人や昔の日本人のように、恥辱を死にまさる苦しみと考えていました。その死にまさる恥辱に耐えて、イエス様はピラトの法廷より、十字架へ、十字架より墓へと「苦難の僕」の道を行かれました。なぜ、日蓮大聖人のように死刑場の只中で神様の力によって救われなかったのでしょうか。 神様の側のお考えによれば、キリストは一度死んで地獄の底まで下り、死に打ち勝って復活し、その上で神のそばまで昇天しなければならなかったのです。そうでなければ、人間の罪も、その苦悩も病気も救う事ができなかったのです。悪人の死で悪人の罪をあがなう事はできません。 今、大分市文化会館のあるところは、昔の城のあとです。あのあたりは、以前は沼地でして、そこに城を築こうとしても、どうしても基礎がくずれてしまいます。そこで万策つきて、人柱をうめる事になりました。 「人柱? そりゃちょうどいい、牢屋に今ひとり、死刑になる男がいる。あれを埋めよう」 というわけにはいきません。近在より孝行のほまれ高い美しい乙女をさがし出してきました。というより人柱になった者の遺族には一生何不自由なく衣食を与えるという領主のおふれに目をとめて、貧しい一家の老母の行末を案じてその娘が自ら願い出たのでありました。その娘の身をすてた孝心に泣かぬものはなかったと言います。そのおかげか、その後、城は無事に出来上がりました。この娘は、お宮といい、供養塔が今も城あと北西の石垣の下にあります。 築城の基礎に人柱を埋めるなど、まことに迷信と残酷な行為のようですが、しかしそこに、多少の霊的真理があります。大いなる事業には人柱がいる。しかも悪人の人柱ではだめで、とびきり清浄な人間がよい、という真理です。 イエス様は、人間の罪を救い、天国を築く為の人柱です。故に、イエス様は是非とも死なねばならなかったのです。日蓮聖人のように助かるわけにも行かず、おシャカ様のように長生きするわけにもいかなかったのです。このイエス様の死のおかげで、私どもは、自覚する罪、自覚せぬ生来の罪、一切をゆるされるのであります。 イエス様の死が、いわゆる人柱と違うのは、死んでしまわないで、よみがえったということです。私どもの古い我は、イエス様と共に死に、新しい我が、イエス様と共に復活する。これがキリスト教の信仰です。 復活は、当初弟子たちにすら、あり得ぬことに思えました。使徒たちには、この話はたわごとと思われた、と聖書(ルカ二四・11)にあります。 また、アテネの文化人たちは「死人のよみがえりのことを、聞くとあざ笑い」、「いずれ聞くことにする」といって帰っていったそうです(使徒一七・32)。 パウロが法廷で、彼の信仰の証しを長々と語っている間、静かに聞いていたフェスト総督も、ことイエスの復活に及ぶとたまりかねて 「パウロよ。お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせている」 と叫んだそうです。(使徒二六・24) 遠藤周作という小説家がいます。「沈黙」とか「死海のほとり」とか、信仰小説を書いています。なかなか評判はいいのです。あの人の信仰は、弱さや不信仰の中に開きなおって「しかし信じています」という信仰です。人間の弱さに絶望し、信じようとして信じ得ぬ合理主義の申し子みたいな現代人が、なおも人生の不安におびえて神を求める時、ああいう信仰に落ちつきやすいのです。 その遠藤氏ですら、ペンテコステの聖霊経験以後のペテロたちのみごとな変身ぶりにはかぶとを脱いで、そこに何かがあると言っています。信仰とは泣きべそかきかき弱さの中で居ずわってアーメンと言っている事ではないのです。 あのおっちょこちょいで、臆病もののペテロが、聖霊経験以後、大胆不敵、すばらしい弁論(説教)、一群をひきいる組織力と権威を兼ねあわせてもちました。パリサイ人達は、いくら目をこすって見ても、彼が無学な只人である事を認めざるを得ませんでした(使徒四・13)。 なぜでしょう、復活のイエスが約束通り、その聖霊を天より彼らにお送り下さったからです。十字架の死は復活の為、復活は昇天の為、昇天は聖霊をお下しになる為です。この聖霊の働きを知らないと、イエス様の理解が遠藤周作流におわり、信仰は生活をかえず、只々、おのが才能にたよるのみになります。(一九七七・一〇・九週報の「イエスはなぜ死んだか」を手直しして採録) (1978.3.26週報「キリストの福音」より)
by hioka-wahaha
| 2016-03-25 10:38
| 週報「キリストの福音」
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