No.734 悩みの日に主をたずね求めよ/知ることの大切さ/天よりの祝福を受けよ 2016.2.7

悩みの日に主をたずね求めよ

◇悩みは誰にでもあります。問題は、その自覚度であります。誰が見ても大変な苦労であるのにぐち一つ言わず堪えている人があります。逆に会う人ごとに自分の不仕合せを訴えて泣いている人もあります。人に訴えず、神様に訴えなさい。
◇「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11・28)とキリストは言われます。


知ることの大切さ 

 先週のこの欄に書きましたロッテの野村選手の場合、成功に至る第一の条件は彼自身が「おれの体はもっと走れる筈だ。生れつきランニングはだめだと思っていたのは間違いだ」と知ることにありました。
 かくして、知ることは、練習をやる決意をうみ、かたい決意は練習の持続をうみました。
 
 問題に対して適切な答をした律法学者は、「あなたは神の国から遠くない」とイエスにほめられました(マルコ12・34)。適切な知識→決意(信仰)→持続、これが、この世に於いても成功の法則です。
 
 さて、人生最大の宝である永遠の生命は、唯一のまことの神と、神のつかわし給いしイエス・キリストを知ることにあります(ヨハネ17・3)。イエスを知る知識こそ絶大の価値であります(ピリピ3・8)
(1978.2.26週報「キリストの福音」より)


天よりの祝福を受けよ 

 イエス様は、弟子たちを伝道に派遣する時、「金も袋も下着もくつも杖も持つな」と言われました。これは、私達に「無一物・無所有」の貧窮生活をせよとのお言葉なのでしょうか。いいえ、これは「神様第一、神様一切」の伝道生活が、実はいかに「ゆすり入れ、溢れ出す」ばかりの祝福に満たされたものであるかの、神のお約束の前書きでありました。
 
 イエス様は、後日「私は富に処する道も、貧しさに処する道も知っている」と宣言した、その特選の使徒の主であります。イエス様の一行は、王家ゆかりの女性さえ混えた奉仕団の献げもので、なんの不自由もありませんでした。一行には共有の財布がありましたし、ユダはそれをかすめさえしました。時には、その財布の中に、五千人の食事をまかなう程の余裕はあったらしくあります。イエス様の着ていた着物は縫い目なしの、当時で言えば高級品でありました。寝る所がなくても平気でありましたが、かと言って必要の時は悠然と格好の部屋を要求なさり、食事の時はよく飲み、よく食べ、よく歌ったのであります。
 イエス様は決してぜいたくはなさらず、野卑な陽気さはお持ち合わせではなかったでしょうが、かと言ってある人々の想像するように、貧乏たらしい生活でもなく、また悲しげなる人物でもなかったのであります。彼には「すべてのものが、あり余るほど」であったのであります。「おどり上がって喜ぶ」ことの出来る人でありました。
 
 私たちは、このイエス様より、十分にご祝福を受けるのでありますから、貧しげな、物の不足する、面倒な人生を予測してはなりません。
 「あなたがたの神、主が、あなたがたについての約束されたもろもろの良いことで、一つも欠けたものはなかった。みなあなたがたに臨んで、一つも欠けたものはなかった」(ヨシュア23・14)
 この約束は、イエス・キリストの血によってあがなわれた私どもすべてのものの上に成就されるのであります。このせっかくの御祝福を信ずることをせず、かたくなにこれを拒否するのは、傲慢無礼なる不信仰の態度であります。心へりくだり、全心全霊、神様とイエス様を信じて、最初の新生当時の信仰同様に、祝福を「受け入れ」ましょう。
 イエス様は、私たちに生命を与え、しかも豊かに与えるために、この世に来られたのであります。魂において、肉体において、またすべての事において恵まれるよう祝福を受け入れましょう。
(1978.2.26週報「キリストの福音」より)



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by hioka-wahaha | 2016-02-13 14:14 | 日岡だより
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