No.203 アシュラムとは何か 2005.11.20

アシュラムとは何か

 今年も高砂聖霊アシュラムに参加してきました。もうこれで、4回ほど参加したのだと思います。最初の頃は11月23日を中心に日程を組んでいたかと記憶していますが、11月23日は私の回心記念日なので当教会で特別聖会をすることが多い。そのことをお知りになって手束先生が日程を現在のように少し繰り上げてくださったように思うのです。有り難いことです。その上、私を常任講師のごとく取り扱ってくださるから、私もその任に応えようとして頑張っていますが、その結果は出ていますか、どうか。そのご期待に応えていますか、どうか。心もとないです。
 さてアシュラムという言葉は聞き慣れない言葉ですが、もともとはインド語の筈です。キリスト教の世界にアシュラムという言葉を持ちこんだのはスタンレー・ジョーンズです。
 スタンレー・ジョーンズ(1844~1973)はアメリカの人、23歳の時、インド宣教に出かけますが、うまく行かず、ノイローゼになってアメリカに帰ります。この点、後輩のT・L・オズボーンに似ています。オズボーンもインドに行きましたが、一旦挫折してアメリカに帰り、改めて神様から霊的に刷新されて再びインドに行きます。そして以後の世界的なすさまじい神癒伝道に身を委ねるのです。
 インドの民衆には他国に無い深い霊的地盤があります。抜きがたい神秘的志向性です。この国でキリストの福音を伝えるのは容易ではありません。並の信仰、特に西洋文明をひけらかして語るような福音宣伝は通用しません。オズボーンも敗退し、スタンレー・ジョーンズもこれに対処できず、ノイローゼになったのでしょうか。
 特にスタンレー・ジョーンズのその後の著作を読むと、最も良い著作は「インド途上のキリスト」だと思いますが、この本で推測できるのは、彼が相当ガンジーに影響されたのだろうということです。当初、インドに行った早々にガンジーに会えたとは思えせんが、とにかく日々、インドの新聞やその他の報道によって見聞できるガンジーの言葉や行動に、スタンレー・ジョーンズは凄くショックを受けたと思います。
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 私はもう一度、語りたい。インドの霊性の深さ、高さ、純粋さを。私は、個人としてはサンダー・シングを、公人としてはガンジーをあげたい。いずれも歴史的に見て、最もイエス・キリスト様に似ている人である。サンダー・シングのことは、ここでは省略します。ガンジーを指して「最もキリストに似た人」、あるいは「最もキリストに近い人」という人がインド人の中にも多くいたという、この事実はまさに奇蹟である。
 ガンジーは決してクリスチャンではない。彼は確固たるヒンズー教徒である。しかも、あらゆるクリスチャンたちよりもクリスチャンらしい人物に見える。(私事を語るが、私は20歳のころ、よく夜のベランダに上がって空気を胸一杯吸いこんだ。何度も吸った。それは偏西風に乗ってインドから日本に来た空気のなかに、ガンジーが吐いた息のひとかけらが入っていはしないかと思ったからである。その一片でも私は吸いたかったのである)。
 このガンジーを見る時、純粋で熱心な宣教師スタンレー・ジョーンズ先生はノイローゼにならざるを得なかったのではなかったか、これは私の勝手な推測であるが。しかし、ともかくアメリカに帰ったスタンレー・ジョーンズ先生は信仰を回復した。それこそ、「インド途上のキリスト」です。キリスト教ではない。キリスト教会ではない。キリスト教文明ではない。彼が改めて把握し、これをこそ伝えようと自信を得たのはキリストご自身である。今もインドの街や村々を歩かれるイエス・キリストである。
 私たちの日本で言うなら、この日本列島を歩かれるイエス様、東京の街を、東北の田舎を、信州の山の中を、そしてこの大分県の町々、村々を、あなたの家の前を、あなたの会社の工場の中を歩かれるイエス様をご紹介したい。そしてこの方をあなたの胸のなかに受入れてください。こういう伝道なのである。
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 こうして再びインドに帰ったスタンレー・ジョーンズはしばしばガンジーを訪ねたらしく、また心おきなく会話出来たようである。その時、ガンジーのたたずまいする場所がアシュラムであったと思われる。
 アシュラムとは本来、インド教の修行者たちが修行のため隠棲する場所のことであったらしい。そしてガンジーは自分の所に来て語り合い、共に学び、共に断食し、祈る人々の居る場所をアシュラムと称した。そこにスタンレー・ジョーンズもよく来たのであろう。
 そしてスタンレー・ジョーンズは考えたのであろう。「これは良い。欧米のクリスチャンに最も足らないのは、この静かな隠棲の場所、アシュラムだ。こうした所にしばらくでも集まって、み言葉に親しみ、御声を聴き、少数メンバーで交わって、御声により得たものを分かち合いたい」と。
 私は忠実なアシュラムの人とは言えないので、以上の記事は正確を欠くし、私の誤解もあろうと思う。しかし凡そ、日本のアシュラムの起因はスタンレー・ジョーンズにあるし、アシュラムという言葉の由来、その性格はガンジーにあるのであろうという、私の推測を以上に述べてみた。
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 さて、日本におけるアシュラムの本流は「日本クリスチャン・アシュラム連盟」の働きであろうか。キリスト教年鑑を開いてみたら、そこにスタンレー・ジョーンズによる「アシュラムの精神」という言葉が出ていたので、参考にここに挙げる。
 1、キリストへの明け渡し。
 2、み言葉への静聴と立証。
 3、聖霊の啓導と充満。
 4、教会への奉仕と伝道。
 5、神の国の体験と献身。
 日本クリスチャン・アシュラム連盟の流れのほかに、かつて榎本保郎先生の榎本アシュラムというのがあった。榎本先生が帰天されて以後も続いているか、どうか、私は知らない。この榎本アシュラムが別府で開かれたことがあり、その時、私は参加した。榎本先生にお会いできた最後であった。
 さて、高砂アシュラムの特徴は何か。ペンテコステ信仰をはっきり打ち出しているのが高砂教会の主催アシュラムである。何よりも手束先生の教えにより、にこやかな笑いに満ちた会堂の空気そのものが、ここでのアシュラムの性格を支えてくれると思う。また、当アシュラムにおける主任牧師というべき榊原喜三郎先生の綿密な指導、特に静聴についてのご指導は貴重である。さらに、
 別格の手束先生の初著「キリスト教第三の波」による連続講義は、私たちのペンテコステ信仰を再確認させる見逃せない祝福の時間である。
 もちろん、このままで満足せず「聖霊の導き」に生きる私たちの信仰を更に強化、深化、拡大して、カリスマ的信仰の形成と充実を期待したいと思います。来年は、当教会からも多数この高砂聖霊アシュラムに参加できるよう、願っています。《く》

〔先週の信徒礼拝について〕
 先週の信徒礼拝は圧巻でした。私は当日、高砂教会での「聖霊アシュラム」に参加していたのですが、帰って、当日のビデオを見ました。本当にすばらしかったです。証詞に立った諸兄姉が9名、最後にお一人のショート・メッセージ。上手というのではない、しかし、本音のすばらしい信仰、正直な表白です。私はこれまで、我が教会の信徒の皆さんの信仰がこんなに素晴らしかったと気がついていなかったことを恥ずかしく思いました。来月の4日も私が秋川集会に行きますので、また信徒礼拝です。次の立証メンバーに期待します。よろしく。《く》
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by hioka-wahaha | 2005-11-20 00:00 | 日岡だより
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