No.717 イエス・キリストのほかに救い主は無いのか?/地べたに書く 2015.10.11

 〔信仰問答〕(2)
イエス・キリストのほかに救い主は無いのか?

 問――「分け登る、ふもとの道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」という歌もあるように、どんな宗派でも、たどりつく所は同じだと思います。それを、イエス・キリストの救いだけが絶対だ、他の道では救われぬ、と言うのはあまりに偏狭・独善的ではないでしょうか?
 答――我が仏尊とし、と他の宗教の悪口ばかり言うのは、見て気持ちのいいものではありませんね。宗教と言ってもいろいろですから、どれもこれもと言うわけにはいきませんが、深遠な思想と誠実な実践、あるいは単純無比な信仰を持った優れた宗教が多くあることは事実です。私は特にキリストに回心当時、手もとに聖書がありませんでした。そこで信仰上の栄養は、真宗や禅宗や神道の本より吸い取ったのです。信仰の対象としてはともかく、私は信仰上の心の姿勢や瞑想法等において多くを他宗より学びました。そして、私は今も変わらず、それら真摯な宗教に親愛と尊敬の念を持っているものです。
 しかし、私は矢張り、心の根底には「イエスのほかに救い無し」と信じています。何と頑迷な!とあなたは思うかもしれませんが、逆に私よりあなたに問うてみたい、「あなたは、自分の事として本気で信仰を求めていますか」と。するとあなたは多分「いいえ、私は大して信仰など必要としないのです。しかし、宗教はあっていいものだと思います。ですから、人様が信仰するのに何も反対したりしはしないのです」と答えるでしょう。こんな考えの人が、「何教でも同じですよ、同じ高嶺の月ですよ」と言うのは当然の事です。
 右のような態度を、「宗教愚民必要論」というのです。福沢諭吉がその「―――必要論」を年中三田で唱えていると言って内村鑑三がある仏教大学で攻撃したことがあります。宗教は愚民弱者の必要とするところ、とにかく安心立命すればよいのだから何宗でもよい、我らは自力熱誠でやっていく、「祈らずとても神や守らん」(乃木希典)式です。こういう人は、山の比喩で言えば、自分は雲の上か、ヘリコプターの上に居て、山の全貌を見下ろして、あらゆる宗教の道の上にいるつもりです。ですから、「ふもとの道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」と人ごとのようなノンキな歌になるのです。
 しかし、自身信仰を求めている人にとっては、あたかも山に譬えれば、ガスに囲まれて谷間に落ち、どこに向かって脱出すれば救われるのか分からない、そういう危機状況にあるのですね。月見とは違うのです。道元や白隠や日蓮や親鸞や、アウグスチヌスやルターの生涯を見ると、そういう人生究極の価値についての疑惑と罪と死の危機が烈火のように全身全霊をこがしていて、とてもじゃないが、月見のような風流なヤワな事ではない。
 いかに脱出口を求めていても、脱出口が見つからねば、そのまま谷底に居すわって、ここも亦よし、と悟るか。あくまで自力脱出をはかって死んでもともとと覚悟するか。人から案内書を借りて、×月×日には必ずガスは上ると信じるか。案内人の名を呼び求めればいいとして唱名にせい出すか。とにかく目の前の業に熱をこめて三昧に入るか、善意愛労の奉仕で、谷間の中にも天国のある事を実証するか、―――そういうさまざまの生き方があり、すべて値打ちはあるのです。
 しかし、私は言います。最大の山道案内人、生命をとして私たちを救い出してくれる唯一の方が、ガスの向うからやって来られる!と。その方に現実お会いしたら、すべての宗教の教えは、それが真実でありつつも空文と化します。イエス様の実現の前には、太陽の前に月が光を消すように。法則や、悟りや、心のもち方や、生き方の教えではない。人生をドン底より救い上げる人格者としての救い主イエスが来られるのです。
 (1977.11.6週報「キリストの福音」より)

 
地べたに書く
いよいよ、来週はクリスマス礼拝と、CSと合同のクリスマス祝会であります。礼拝では洗礼式と聖餐式を執行します▲イエスの誕生は本当は五月か六月かであろうと言われています。少なくとも、羊を外で飼っている頃の筈であります。しかし、いつの間にか十二月に定着しました。多分ローマの冬至祭とごっちゃになったのだろうと言われています。冬至は夜が最も長く昼は最も短いのであります。そして気温は益々下がるのでありますが、次の日よりしだいに昼の時間が長くなる。「冬来たりなば春遠からじ」であります。そういう冬至の感触が、キリスト降誕の意義になにか近いものを思わせたのでしょう▲クリスマスは戦後世俗化してしまって心あるクリスチャンは何だかクリスマス行事にためらいを覚えているのも事実であります。私の伯父は、戦前でしたが、クリスマスより復活節を盛大に祝ったものです。それも一つの見識ですね。とは言え、あまり固い事を言わず子供達といっしょに、たのしくクリスマスを祝う時神様は一緒にお喜びでしょう。
 (1977.12.18週報「キリストの福音」より)



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by hioka-wahaha | 2015-10-13 18:11 | 日岡だより
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