No.710 永遠の若さ/地べたに書く/涙 2015.8.23

永遠の若さ

 神様には、なんの形もありません。(申命四・15)、その姿を見た人はいません(ヨハネ一・18)、又決して神様を形ある偶像にして、これを拝んではいけません(出エジプト二〇・4)。しかし、もし神様の姿を人間の形にして想像することが許されるならば、それは「永遠の若さ」をもった聖なる青年の顔ではないでしょうか。
 (1977.9.25週報「キリストの福音」より)
 

地べたに書く 

 朝早く、まだ気持ちのいい時に、パリサイ人たちは姦淫の女を連れて来て、イエスにその罪を問うた。愛のひとかけらもない彼らを前に、イエスは無言であった。そして身をかがめて地面に何かを書いておられた、と聖書にある。女へのあわれみとパリサイ人への怒りと、二つの火が心に燃えて、心なしか指もふるえつつ地面にかかれたかもしれない。その言葉はすぐに消されて、今はそれを読むすべもない。しかし、天国の記録には、今もその言葉が残されていないだろうか。
 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、不思議に勝ち続けた日本人(あえて、軍部、政府と言わず、天皇をも含めて)は、今度も又勝つかと思って太平洋戦争を始めた。海軍などは当初反対だったというが、とにかくどうかなると思ったのであろう、徹底的には反対せず、そして戦争に負けた。
 戦後の経済もこれに似ている。朝鮮戦争以降、これという指導者も政治理念もなく、不思議にもうかりつづけ、繁栄をつづけてきた。もう危ないよ、と言われても「何とかなる」と日本人全体が思い込んでいる。しかし、日本はもうこれまでの繁栄の条件をあらかた食いつぶし、今残っているのは人間だけである。食糧もエネルギーも危ない。一朝時ある時には日本列島は飢餓とくらやみである。今この島々に満ち溢れる人間を生まれ変わらせる以外、救いの道はない。
 (1977.9.25週報「キリストの福音」より)
 
 
 
 イエス様はラザロの墓の前で激しく感動された。
 愛するラザロの死の周辺の、不信仰や傍観的ささやきの中で、イエス様は激しい情動をおこされた。それがどういう感情であったか、今の私たちには知るよしもないが、そばにいた弟子たちにも異常な衝動を与えたらしい。その時、「イエスは涙を流された」。これは英文聖書では、最も語数の少ない節として有名なヨハネ福音書第一一章35節である。
 「Jesus wept.」
 今から三十年程前、鹿児島県の霧島神宮下の研修館で日キ教団青年部の修養会があった。その時の発題説教に当時の九州教区総会議長の野町良夫牧師(四十才前であったろう。まだ若かった)が立った。先生は折しも、胃けいれんをおこされて身をよじるようにして必死の説教をされ、その直後、倒れて別府に帰られたのであったが・・・・。
 その野間先生の説教中に、私は先生の説教そのものに感動したとか、興奮したとかいうのではないのに、訳も分らず涙がドッと両方の目から溢れ出した。涙がこんなに熱いものだとは、久しく忘れていたような、幼年時代にワーンと泣いたあのようなはげしい涙で、私の両眼はポンプのように涙を出し、私はしゃくり上げて泣いた。感激とか感動とかいう一般的感情の部類に入らぬ一種しらけた意識が目ざめていて、ただ異常に涙だけ出て泣けるのである。
 今思えば、異言に似ているが。
 普通、泣くには、悲しくて泣くとか。くやしくて泣くとか、うれしくて泣くとかそれだけであろう。しかし、聖なる情動で泣くこともあるのである。こういう泣き方は一般的人間社会には共通体験が少ないから、表現する言葉もない。言葉はないけれど、これは事実である。
 私はその時より数年前に、すでに救の確かさと言うべき回心をしていたので、いわゆるコンバージョンとはちがう、しかし又、聖霊の充満とか、油そそぎとか言うようなそんな大それたものでもなかった。とは言え大それたものではなかったとわざわざ謙遜をもって言うけれども、しかし私に取っては大変な聖霊体験の始めであったのである。
 その修養会の直後、私の人生の転換がスルスルとやって来て、やがて伝道者に召される行程がその時にきまったように思われる。昨年、野間先生にお会いした時、その事を始めて告白して、先生と神様の前に感謝したのであった。
 (1977.9.4週報「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2015-08-27 09:27 | 日岡だより
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