No.696 信仰アドベンチャー/告白の信仰 2015.5.17

信仰アドベンチャー 
         
 昨夜(十月十一日)、テレビで映画“ポセンドン・アドベンチャー”を見た。評判の大スペクタクル映画である。主人公が牧師なので、その興味もあった。しかし、見ていて失望した。主人公いわく「坐って祈っていて、何になる。まず努力することだ。それが祈りだ」―――、ひと昔まえの、大松監督式なせばなる、おれについてこい、だ。
 あれが大衆が喜ぶ英雄である。大衆は英雄を待望する。ヒトラー、スターリン、毛沢東。こういう人達の手では、本当の救いは来ない。モーセは、六十万の民をエジプトよりカナンの地に導いた。しかし彼は英雄ではない。事毎に、神に道を聞き、神に従い、神の前にも人の前にも謙遜であった。
 と言うものの、虚弱体質な信仰のはびこる昨今のキリスト教会だ。こういう英雄主義的映画を見て心を励ます事もいい事かもしれない。
 大体、信仰という言葉に、二重の意味がある。罪のゆるしを与えるキリストの十字架と復活への信仰。この信仰は非常に内的なものだ。何ものにもくつがえされぬ強じんな信仰である。ルター的“信仰のみ”の信仰である。
 けれど、この信仰のみに生きているクリスチャンに、多くのひよわなクリスチャンを発見する。それは「からし種一つぶほどの信仰でも、山を移すことができる」という類の、一種の物理的信仰がないからだ。イエス様が十字架にかかられる前に、何度もこの信仰を弟子たちに奨励した。だから又、彼らの不信にたいへん憤られた。「祈ったことはすべてかなえられる」という、このポセイドン物語以上のアドベンチャー(心おどる冒険)に、信仰心をもやそうではないか。
 (1976.10.17「キリストの福音」より)



告白の信仰
         
        一、
 あなたが「私には信仰がありません」と言いはじめる時、その瞬間、疑いが巨人のようにおこって、あなたを圧倒するのです。
 あなたは、自分で少しもきづかないでしょうが、あなたの発する自分の言葉で、大きく支配されるのです。
 旧約聖書の箴言に、「あなたは、あなたの口の言葉によって捕らえられ、あなたの唇の言葉によって、わなにかかる」とあります。箴言六・二私訳。
 あなたが、自分の失敗について語る時、その失敗があなたを捕らえてしまいます。
 あなたが、恐怖の言葉を語るとき、その恐れはあなたを追いつめます。
 恐れていたものが、あなたにのぞみ、あなたの身に及びます(ヨブ三・二五)。

        二、
 心をきめてください。私たちは「神の言葉」で、私たちの心を満たさなければなりません。神の言葉が、私たちの性格の一部になるまでに告白しなければなりません。勿論、願わしきは、私の性格のすべてが、神の満ちたりたるまでに至ることですが(マタイ五・四八)。
 ここでいう告白とは、いわゆる罪のざんげではありません。「言いあらわす」ことです。告白という言葉の原語は「同じ言葉を言う」ということです。神のみ言葉に対し、それに同意し、承認し、さんびして、同じ言葉で応答するということです。

        三、
 絶えず、聖書のみ言葉を語りましょう。
 クリスチャンの持つ危険なあやまちは、聖書を通常の本と同一視することです。聖書は神の霊感によって書かれた「唯一の書」であって、そのみ言葉は神の心であります。
 もし今も尚、残っているとすれば、キリストの用いられたハンカチや、スプーンでもあれば大したものでしょう。しかし、最もかぐわしいキリストの遺品は、その心であります。そして、その心は聖書のみ言葉に、ありのままに残されています。
 ですから、「キリストの心を心としなさい」(ピリピ人への手紙二・五)との聖書の訓えを、まっとうにうけ入れるには、「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせる」(コロサイ三・一六)訓練が最も大切であります。
 正直に言って、聖書のみ言葉は、かたい人間の心には、バンヤンが言ったように「棒をのむが如く、砂をかむが如く」味気のないものであります。しかし、落胆せずに、くりかせし、大声で、聖書の言葉を叫びなさい。必ず、み言葉はあなたの中に沈潜し、あなたの心の中にとどまり(ヨハネ一五・七)、あなたのすべての思いをとりこにし、遂にはあなたをキリストに服従せしめ(コリント第二書一〇・五)、心の深みまで新たにされて、神にかたどって造られた新しき人(エペソ四・二三、二四)、即ちキリストの形があなたがたの中に生れる(ガラテヤ四・一九)のであります。
 たとえ、熱い心で信じているみ言葉でも、そのみ言葉を我が身において実現させようとせっかく意志してみても、我が肉に他の法則が宿っていて、その善なる意志を無力にし、私を絶望せしめることがしばしばです(ローマ書七・一八)。心に信じても、口に言い表さないと、内なる義が、現象世界に実現しません(ローマ書一〇・八)。心の義は、必ずこの罪の世に実現され、そして全き肉体の救をもって再臨の主をむかえたい、この願いを全うする為に、圧倒的勝利を得る為に、この告白の真理を実行して下さい。
 (1976.10.17「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2015-05-22 10:08 | 日岡だより
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