No.694 救いをうけよ/天国と地獄/成長の道 2015.5.3

救いをうけよ
 
 「キリスト教、うん、キリスト教はよい宗教ですよ」
 こう言ってくださる方は多いのです。そう言いつつも、なかなかキリストを信じることをなさいません。
 キリスト教は、外見上、文化的で倫理的でかっこよい宗教であります。昔のように、古い土地柄や老人達の白い目も気にする必要もなくなったようであります。しかし、キリスト教は不人気であります。
 
 キリスト・イエス罪人を救わん為に世に来たり給えりとは信ずべく正しく受くべき言なり。(Ⅰテモテ一・15)
 
 このパウロの言葉は、聖書中でもなかなか大事な言葉であると思います。イエスの誕生の目的は「罪人の救」にあるのだと言います。しかるに多くの人にとって、結婚式とか、聖画とか、聖歌の美しさは魅力であっても、「罪人の救い」というイエスの招待状には、目をつぶるのではないでしょうか。しかし、ここで(上掲の聖句のすぐあとに出てくることばなのですが)パウロは「私は罪人の頭」であると言いました。自分が罪人の親玉であるという無残な自覚と、その状況から救われたいという飢えかわきのみが、「罪人よ、我にきたれ」というイエスの招待状を受け取らせてくれます。
 あなたが、もしキリスト教を好いていてもキリスト・イエスの救を拒否なさるなら、それはあなたの自分を知らぬ無知な、傲慢さから来ます。
 「すべて労するものよ、我に来たれ」
 とイエスは言われます。
 あなたに、対してです。
 (1976.9.19「キリストの福音」より)

 
天国と地獄
 
 先週の日曜日の礼拝説教は、題して「天国と地獄」。かつて同じ題名の映画がありましたが、今回はそんなモダンなテーマではない。ごく古い古い信心の話。
 「人間には、一度だけ死んで、その後さばきを受けることが定められている……」
 と聖書(ヘブル九・27)にありますが、人間の死は、会社の仮決算のようなもので、死後に最終の決算事務をとるとどうなりますか。あなたの人生の結果はどうなりますか。天国ですか、地獄ですか。
 天国も地獄もあるものか、そんなことは迷信だと、頑固に人生を押しわたる人もいるけれど、そういう人の面かげや家庭や事業に、早くも生きている時から地獄の陰惨な影がつきまといます。本当の人生の平安は、天国をかなたに約束されている人でなければ、心底から持てぬものです。
 人間には二つの道があります。天国に行きますか、地獄に行きますか。その天国行きの道の説教を先週しましたら、案外はっきりしていない人が多くてびっくりしました。自分は救われているのか、救われていないのか、果たして天国に行くのか、天国に行けないのか、釈然としていないのです。それでは困ります。
(1976.9.26「キリストの福音」より)
 

成長の道
 
 鳥は群れて飛ぶ。
 人間にも同じ法則が働く。
 いきのよい人間は、いきのよい人間とつきあい、怠けものは怠け者どうしつきあう。
 マラソンでも、トップ集団から落ちると、ずるずると次の集団まで遅れてしまう。なるべく、信仰の人、愛の人、行動の人、瞑想の人に近づきなさい。大物といわれる人、賢者といわれる人につきあいなさい。そういう人達のふん囲気になじんでおく事は、あなたの人間性をつちかうのに大きな力がある。
        ×
 困難をさけてはいけない。
 患難がおこっても、それを遠ざけずにその中で一苦労しなさい。
 人間はやわらかいベッドにねていたのでは、考える事はできない。かたい椅子こそ、よい考えを浮かばせる。
 ホームラン王は、しばしば三振王でもある。人生の智恵者は、失敗に意気阻喪せず、更に次の成功への道を学ぶ。
        ×
 神様は人間を補助者としてお求めである。人間は神様の御業に協力することができる。祈りというのも、実は神様の御心への協力であって、何もあれこれ祈願するのみが第一義ではない。神様の人類への計画、世界計画に少しでも協力させてくださいといって、献身する、その心ばせこそ祈りである。
 才能がない、金がないとなげくことはない。この無にひとしいものを有用に用い給う神様の手にこの身をゆだねよ。才能がない、金がないままで、どんな御用が果せますか、どういう御協力ができますかと問うて見よ。そこに、あなたの人生フル回転の秘訣がある。(1976.10.3「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2015-05-08 11:02 | 日岡だより
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