No.678 勇気ある運転/子供のしつけ方教室(1)居ずまいを正す 2015.1.11

勇気ある運転
 
 「あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。」(第一ペテロ二・13)
 
 ある信仰の厚い兄弟の話。彼はこれまで、彼の町からO市まで車で二時間で来れるのが自慢であった。最近の道路は、どこまで行っても時速制限と追いこし禁止で、とてもじゃないが早く行けない。そこを彼は四〇分短縮して到着する。どうだい、一人で鼻をうごめかして、有頂天である。そういう彼が、右の聖句を読んだ。もろ刃の剣のように、彼の良心を切り裂いた。
 彼は、その日から気をつけて、丹念に順法運転を始めた。そして、多くの事を学んだ。
 (1)時速制限や追いこし禁止を守れないのは後続車に馬鹿正直め! 下手くそめ! と軽蔑されているようで、ついアクセルをふむのが原因。よく考えると自分の弱気、世に対する妥協が一番の敵だ。
 (2)しかし完全に順法運転してみると、心は非常に平安である。あくせくしない、世間ばなれした精神の安定がある。
 (3)毎日つづけていると、世間と争ったり人の軽蔑をおそれたりする精神(スピリット)が消えて他の生活の分野でも平安と勇気が湧いてくる。
 これは、決して長いものに巻かれろと言う弱者の宗教ではない。多くのドライバー族の風潮に抗して、交通規則に従う事こそ、多大の勇気を必要とするのである。彼に、その勇気を与え給いし神に感謝する。
(1976.5.30「キリストの福音」より)
 
 
 

子供のしつけ方教室(1)
居ずまいを正す
 
 運動部のキャプテンは、練習の前後はみんなと一緒にわいわいがやがや、あるいはニコニコニタニタしているかもしれぬ。しかし、いったん練習がはじまったら、白い歯は見せられぬ。狎れた、だらけた態度は一人も許されぬ。間違ったら、どなられる、どやされる。そうでなければ、スポーツは体得できぬし、又爽快さも無い。
 今の親御さん、子供の前で、居ずまいを正すということがあるか。
 「三郎ちゃん、ちょっといらっしゃい。」
 「はーい。」
 とお母さんのところにいってみると、お母さんは、キチンとすわって、三郎ちゃんをまじまじと見つめている。
「三郎ちゃん、あなたは今さっき、お向いの健ちゃんをビッコ、ビッコとはやしていましたね。あなたがもし健ちゃんだったらどんな気持がする?」
 こういう、いわゆるお説教はおこって言うのではない、又軽く言ってもいけない。人生における最も大事なことなのである。親御さんは居ずまいを正し、キチンとして、いささか他人行儀な言い振りでかまわぬ、理解できるよう言ってきかせる事だ。つまり厳粛さが必要なのです。なぜなら、これは厳粛なことなのですから。ですから、くどいのはいけない。子供は、その厳粛な雰囲気の中で人生の大事なことを感じとって行くのです。(性の問題を話してあげる時など、特にこの注意が必要です。)
 クリスチャンホームでは、家庭礼拝や、祈祷の場が、最もこれにふさわしい処です。
(1976.5.30「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2015-01-14 21:20 | 日岡だより
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