No.666 人間エンジン/集会を重んぜよ/あいさつ 2014.10.19

人間エンジン
 
 今、世の中は不景気です。
 どこへ行っても、不景気な話ばかりです。
 しかし―――
 世の中がどうであれ、景気にふりまわされるようでは、一人前ではありません。
 まわりの状況がわるい時、困難や行きづまりに出会う時、それを人生というエンジンのガソリンとして、積極的に吸収しなさい。
 
 私がもし、人生をつっ走るエンジンであるなら、最大のパワーを出す強力なエンジンでありたい。この人間エンジンの容量は、その人生の目的によって大きくもなり、小さくもなります。
 人生は、目的を持ったときに始まります。そこから、何かをやろうとする熱望がわきます。目的と熱望の大きさが、人間エンジンのパワーを決定します。
 
 私の勇気は、「地の果てまで福音をのべ伝えよ」という目的と熱望を持った時に生まれた。私は狂えるごとく、その目的を追うのである。そして、人が変ったように大胆、且つ行動的になったのである。
 人を動かすものはなにか。それは、心の底からの熱望である。
 この熱望に、たしかな目標(目的に至るための具体的にしぼったより近距離にある具体物)を与えよ。この目標に顔をかたくむけて、先頭きって前進せよ(マルコ一〇・32)。
 これが物事に成功し、成就する秘訣である。
 人間は、だれも弱虫です。
 しかし、目的をもったとき、勇者になります。
  (1976.3.14「キリストの福音」より)


集会を重んぜよ
 
 キリスト教は孤独の宗教ではありません。「私の名によって、二、三人集まる所には私もいる」とイエスは言われた。「この地上で、二人のものが心をあわせて祈るなら、必ずかなえられる」と約束されました。その弟子を伝道につかわされる時、かならず二人を一組になさいました。
 イエス御自身は、一人でしばしば祈られましたが、それでも最後のゲッセマネの祈りでは三人の弟子に共に祈ってくれるよう願われました。まして、私どもには一人で祈るよりも、二人以上の共同の「密室の祈り」が好ましいように思われます。ペンテコステの恵みは、百二十人の密室の祈りに答えて与えられました。ピリピの牢獄で、パウロとシラスは心を合わせて祈りました。
 集団(集会)のある所に、聖霊の臨在を感じるのは、聖書の上からも、経験上からも、真実であります。信仰はしばしば、孤独の時よりも、集会の中で導かれます。
 高慢な人間の心は、集団学習をきらい、独学を好みますが、残念ながら、独学は効果の上りにくい、能率のわるい学習方法です。まして、キリスト教の信仰は、集会の中でつちかわれます。
 日曜礼拝、水曜の祈祷会、各家庭での任意集会、それぞれの集いに、どうぞ積極的に参加して下さい。信仰が目に見えてすすみます(ヘブル一〇・25)。
 (1976.3.14「キリストの福音」より)


あいさつ
 
 「ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳にはいったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました」(ルカ一・44)。
 マリヤのあいさつを聞いた時、エリサベツは、こう答えています。
 一言のあいさつが、人の心を躍動させ、神の国にその心の扉をひらく事もあり得ます。ともあれ、あいさつは人間の交わりの第一関門です。
 「あなたは誰にもあいさつできますか。知らない人にもあいさつできますか」
 これは、ある成功したセールスマンの後輩への忠言です。そして
 「一般市民としての当り前のあいさつでなく、あなたの商品を売るセールスマンとしての特別のあいさつを、必ずすべての人にしていますか」
 と言ったそうです。
 セールスマンにとって、すべての人が見込み客であり、セールスマンはすべての人に商品を売り込むべき動く店舗であるなら、彼はどこででもプロのセールスマンとしてのあいさつが必要なわけです。
 私たちは、「いのちの言葉」のセールスマンとして、あらゆる時にあらゆる人に向かってなすべき、話法の第一声―――あいさつを身につけたいものです。
 「不景気ですねえ」
 「悪い天気ですね」
 「毎日さっぱりです」
 こういうあいさつを、うっかりしている人が多い。
 私どもの群で、今おこっているあいさつ運動は、ポーズ入りである。
 「イエスは主!」
 「イエスは勝利!」
 「ハレルヤ!」
 口々に、これらの言葉を身振り手振りで元気よくやって、壮観であります。
(1976.3.14「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2014-10-23 09:57 | 日岡だより
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