No.663 生まれ出ずる悩み 2014.9.28

生まれ出ずる悩み 
 
 この日曜日は、私どもの教会の新会堂の献堂式でもあります。この小さな群(むれ)に、美しい、分にすぎた立派な会堂を与えて下さった神さまに、心から感謝しています。私どもの、小さな信仰と、ささやかな努力を、主はよみし給うて大いなる事をなして下さったと、感謝しています。
 
 主は、あらためて、私どもに新しい幻を与えて下さいました。
 礼拝出席者は、本年中に五十名になる。来年末には百名、三年目の一九七八年のクリスマスには二百名の出席者となる。正式会員は、その六〇%。二年目の秋頃には、会堂の拡張工事と、その次の新会堂の為の、敷地の選定を始めねばならない。
 伝道志願者の内より、三名の伝道者を得る。内一名は、釘宮牧師と共に東南アジアの宣教に出る。―――というわけで、目標を一つにしぼると、「東南アジアに宣教師を送ろう!」という事になる。
 
 右の幻は、あまりに大きすぎましょうか。
 私どもは、誇大妄想狂でしょうか。いいえ、決してそんな事はない。
 神はケチな方ではない。
 神は、その民がチッポケな期待しかたずさえて来ないのに、あきあきしていられる。
 神は、その子たちの大なる要求を待っていられる。
 神のために、大なる計画を建てよう。
 
 二月二日、私(釘宮)は高松市郊外の(大分市で言えば大在か判田のような処)田んぼの中に立つ、屋島教会の偉容を見て、これを計画した信仰の大きさに、目をみはりました。
 正直言って、私たちは、今度の新会堂で、やや満足していました。無理をしてつめこめば、百人くらいは収容できそうな会堂です。今、日本では、百人教会というのは、教会としては大きい方です。ですから、この位でよいではないか、この会堂で十年はつづけられよう、そんな考えでした。
 何と、我らの夢の小なりし事よ。その反省をもって、私は高松を去りました。
 
 二月十二日、私の母ツギが天に召されました。主の御祝福のもとに、すばらしい葬儀が営まれました。母は、私の肉的情愛の「表現」であったような気がします。母の聖化と私の聖化は、同時進行していた感があります。そして、彼女の死は又、私の死でありました。彼女の屍は、この新会堂の礎石の一つに組みこまれた感じがします。私は、肉的恩愛のきずなより解かれて自由にはばたく時が、やっと来たように思えます。
 何よりも驚くのは、私に牧師としての自覚がわいてきたことです。これまで、私は一求道者のつもりでした。信徒各位とは同行二人という考えでした。そういうカラがやぶれてしまいました。私はこれまで、牧師の卵で、そのカラの中に埋っていたのだと思います。今やっとカラがやぶれ、私は牧師のヒヨコとして、生れ出てきたような感じがします。
 
 
 二月十五日の日曜日には前の人吉バプテスト教会の福田広司先生を招いて、礼拝を守りました。その時、ミニ・リバイバルというか、リバイバルの前駆状況というか、ほとばしるような、御聖霊の臨在に全員が打たれました。
 主は、大いなる事をなされる。
 喜びと畏れとが、私どもの魂をおおいました。
 何よりも、聖霊の光は、その光を浴するものに、認罪と悔改めを与えます。そして、主の臨在と聖化をもたらします。
 こういう、リバイバル状況の中で、人は大いなる確信を与えられ、大胆不敵になります。私は、この原稿の初稿を昨夜(二月十六日)書きかけて、ペンが思わず走ったのです。それは、この大分とこの教会に対する大いなるヴィジョンでした。大分市は人口三十万人です。主よ、その一〇%の三万人をあなたの民として獲得して下さい。これは大きすぎる訴えでしょうか。私は、更に原稿をつづけました。主よ、その又一〇%の三千人を、この教会にあがなわれたる民として加えて下さい。
 三千人! 私は、このように書いてしまってびっくりしました。日本の最大の教会でも会員数一千五百人ぐらいでしょう。三千人などという事を考えるのは、高慢不遜というものでしょうか。気が狂ったのでしょうか。
 日本のキリスト教界の会員定数とでもいうべき「常識」が、私の頭脳に入り込み、私の魂は恐れと諦めでいっぱいになりました。
 勿論、これはまだ神様と約束した数ではありません。神様から示されぬ算術的計算を、真のヴィジョンとは言えません。しかし、この三千人という数が、私の魂の中でうめいています。生れようとして、生まれ得ない陣痛の苦しみを今、味わっています。
 友よ! 我らと友に祈って下さい。
 神の国の栄光の為に。
     (1976.2.22「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2014-09-30 23:00 | 日岡だより
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