No.661 古戦場屋島のすそ野の新戦場 2014.9.14

古戦場屋島のすそ野の新戦場
 
 私は今、この原稿を、四国の屋島教会の牧師館にいて、書いています。牧師先生は、三十年前に、大変お世話になった、野町良夫先生です。当時、先生は三十才台の壮年。小躯ながらも、その頃は珍しいあごひげをはやして、人を圧する力がありました。人を圧する力は、何もあごひげには関係ありません。信仰による大胆不敵さと、宣教への熱情からくる活動力から来ます。今も、別府の山手にひろい敷地をほこる福祉施設栄光園の創立は、当時の先生の御努力によるものです。
 当時、野町先生は、別府不老町教会の牧師でしたが、その後四国の高松教会に転任され、日本キリスト教団の四国教区長をつとめられ、名教区長ぶりをうたわれました。そして、高松教会という地方では最大の教会を七年間鋭意牧されて、会堂を新築されました。そこで、普通の人ならホッと一息というところです。しかるに先生は高松教会を辞して、高松郊外の屋島に開拓伝道に打って出られたわけです。その時、先生は五十三才の筈です。(今、私が五十四才ですから、これを考えると、感慨無量なのですよ。釘宮)。
 
 屋島教会の会堂を見ました。立派なものです。清楚で、堂々たる、コンクリート打ち放しの構造は、源平合戦で有名な、屋島の山の裾にひろがる住宅地帯に、威風をはらっています。そして、礼拝室には、世界一流のオルガニストが絶賛したという日本最高の質をほこるパイプオルガンが、すわっています。
 信徒一人いない処で、開拓伝道をはじめて十年そこそこ(今から四年前です)、五千万円の費用(今なら一億円をこすでしょう)で大会堂を建てる。これは並大抵な事ではありません。源平の弓矢の合戦ならぬ、信仰の新戦場として、この屋島の地に大いなる霊と祈りの戦いがなされた事は、想像するに難くありません。
 
 「うちの主人は、いつも金を何倍にも使えというのですよ。」
 と、先生の奥さんが、そばで言われる。
 普通なら、建築資金(あるいは土地購入資金でもよい)の全額に等しい額を、頭金に使ってしまって、主の為に大なる事を計画するのである。
 今の会堂も、旧敷地が国道用地に接収されて、その補償金額全額をはたいて、新しい敷地千坪を購入し、金は一円も無い時に、計画し入札し、建築をはじめられたという。気の小さい人間がきけば、肝のつぶれるような話です。
 建設会社もよくつき合ってくれたもの。教会の役員会も、よくなっとくしたものです。
 こういう、不敗の実行力は、思うにたじろがぬ信念と不思議な英知から来ます。
 
 土地の選定、人との交渉時におけるウィットと、事態を見ぬく鋭敏さ、日頃からの人との交わり(信頼を得る源泉)、そういう事にただ善人でありますという凡庸さではつとまらぬ英知がいります。そして、この世の成功者が、人を押しのけてでも、金をもうけ、地位をかく得する底の、ファイトとパワーが必要です。
 聖霊は、力と智恵の源泉です。
 普通、キリスト教は愛、愛といって、あわ雪みたいなフワリとした感触の、女性的人間像を世間に与えています。
 しかし、本当のキリスト教には、ダビデ王の戦闘力と、ソロモン王の智恵が備わっている筈です。
 その証明を、この屋島教会が、よく実証してくれています。
 
 今、私は、私どもの群の小さな教会堂(これも又、信仰の所産ですが)の献堂式の二旬前にあたり、この屋島教会の様子を見聞する事を許されたことは、すばらしい天の配慮であったと、確信しています。大なるアンビション(こころざし)をあたえられました。神よりの挑戦でもあります。大分市の東部に、必ず大なる教会が必要であります。そして、更にその将来にはまたそこを出ていって(散っていって、次の町に)、新しい教会を開拓すべき任務があります、この私たちには。
     (1976.2.8「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2014-09-30 21:00 | 日岡だより
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