No.200 米原子力空母配置と自民党憲法改革案 2005.10.30

米原子力空母配置と自民党憲法改革案

 去る10月26日のマスコミで米原子力空母が横須賀に配置されることについて、日本政府はすでに水面下で了承していたことがわかった。こんな重要案件を国内向けに頬かむりしていたのは良くない。
 とは言うものの、多くの国民は「どうせアメリカのすることではないか、仕方がないよ」という受取り方であろう。政府にとっては気にするほどのことではないのである。
 そこへ、きびすを接してのテレビ報道だが、自民党の新憲法制定案の発表。例の第九条、第一項は平和条項を残し、第二項では自衛軍保持を明記すると言う。あたかも本紙前号で日本憲法は詐欺憲法だと書いたが、詐欺も詐欺、これは詭弁である。
 こうした詭弁を曖昧な態度で了解するのは日本民族の通弊だが、国家の基本法を、このような詭弁でもてあそぶ自民党の姿勢は厚顔にも程がある。
 率直に言えば、日本が独立国であると思うのが仮想現実なのである。また、憲法前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」日本は軍備を持たないと言う宣言も全く小児的空想である。
 この「平和を愛する諸国民」とは、どこの国のことか。アメリカ一国にすぎない。核の傘を信頼しての一時しのぎの平和主義なのである。太平洋戦争の際、日本軍に追われてフィリピンから逃げ出したマッカーサーを思い出せ。日本だってフィリピンと同じ目にあうかも知れぬ。どこかの国から攻撃されたら、在日米軍はさっさと一時撤退、残る日本列島は火だるま、日本国民は全滅だぞ! 日本は実質、アメリカの準属国であることを忘れてはならない。《く》


神癒の信仰についてQ&A(その2)

Q.この前は先生ご自身の神癒体験を半分伺っただけで残念でした。聖会の先生が「みなさんの中で腰の痛い人が癒されました」と宣言したけれど、釘宮先生は腰がひどく痛かったのに、これまでもこうした機会に癒されたためしが無い、「今回もだれか他の人が癒されたのだろうなあ」と、うらやましく思っておられたと言ってました。
A.そうです。それから私はホテルに戻ってベッドに寝転がってウトウトしていました。すると「釘宮さん」と私を呼ぶ声を聞いたのです。「はーい」と答えてドアの前に行きました。しかし、誰もいません。「なーんだ、そら耳か」とぼやきながらベッドに帰ろうとした時、気がつきました。腰が一向に痛くない。おや、何の痛みもなくサッと起き上がったではないか。そして難なくドアの前まで行ったではないか。「あっ」と思いました。
Q.ははあ?
A.私はびっくりして、ベッドの上ではねたり、転んだりしてみました。なんとも痛くありません。妻が早速、このことを講師のカニストレイシー先生に報告しました。先生は喜んで私を講壇に呼んで、更に私の為、癒しの賜物の付与を祈ってくれたのです。
Q.賜物の付与って何ですか。
A.聖霊の賜物を分けて貰えることです。傲慢な言い方かもしれませんが、私は既に癒しの賜物は頂いていました。しかし、こうした一流の神癒伝道者から、更にその上に神癒の賜物を分けて頂けることは嬉しいことです。その後、また他の2人の霊的指導者からも癒しの賜物を分けて頂きましたがね。私は尚更、癒しの信仰を固くしたことです。本当に感謝でした。
              *
A.その後も、私は私自身の肉体の癒しについては恥ずかしいですけれど、あまり自信は無いのですよ。でも私はあなたのためには祈りますよ。あなたが完全に癒されることを私は信じています。
Q.心強いことです。よろしくお願いします。
A.いえいえ、すべて神様のお力です。私にはなんの力もありません。もっとも私の手から電気が走るように相手の方に力が伝わって行くことがあります。
Q.あっ、先ほど足を伸ばして頂いた時に、何だか筋肉がズイーッと伸びる感じがしましたよ。
A.ああ、それはよかったですね。時々、そのように感じる方がいますね。私がみなさんの両足のかがとをささえてみると、たいてい、どなたの足も右か左か必ず短いのです。その短い足のほうに向かって私が、「キリストのお名前によって命じる。伸びよ」と命じると必ず伸びます。これは百発百中です。これは癒しとしては何の意味もなさそうですが、どなたの病気も癒されますよという証しにはなります。
Q.「神癒をなさる牧師さんがたは、神様のご意志を人間の祈りと熱心で動かそうとする、これは傲慢じゃないのか。癒されるも癒されないも神様のご意志なんだから、病気も神様が下さったものとして謙虚に受け入れるのが本当の信仰じゃないのか」、という人があります。三浦綾子さんなどもそんな感じですね。先生はどう思われますか。
A.残念ですけれど、三浦綾子さんが、そのようにおっしゃって居られることは知っています。三浦さんはキリスト教の信仰の本筋はしっかりして居られるし、しかも謙遜な方です。私もかねてから尊敬しています。でも、三浦さんは病気は神様から貰ったもののように言われますが、聖書的に見て私はやはり病気は神様からではない、悪魔からくるのだと信じています。
 人間に病気をもたらすのは悪魔であるが、それを神様が見逃しているというか、悪魔にそれを許している面があります。くわしくは旧約聖書のヨブ記を読んでみてくださるとお分かりになると思います。善人だからこそ、悪魔のねらう標的になりやすい、それをまた神様が黙って見ておられるという、この矛盾、これが実はカーライルが最高の文学と評したヨブ記の最大のテーマです。
Q.「使徒パウロも病気をしているじゃないか」という人もありますが。
A.おやおや、聖書をよく勉強していますね、驚いた。パウロのみならずテモテは胃が弱い。もう一人の弟子トロピモも病気だったと聖書にあります。それどころか、旧約の大預言者エリシャは「死ぬ病にかかって死んだ」と聖書に書いてありましてね。
Q.ほほう、そんなことですか。
A.パウロやエリシャの場合、彼らは自分が病気であり、また病気をしなければならない意義を神様から直接教えられていたように見えます。つまり、こう言えます。聖書に従えば、病気は悪魔から来たものです。ですから、これらはすべて神様の権威によって癒されるのです。これが主要路線です。しかし、時には神様が病気をそのままに見逃されることがあります。特別路線です。その時、神様はその病気をせざるを得ない理由を本人に教えられるようです。ですから、神様からその理由や意味を教えられるまでは、何度、癒されるよう祈っても差し支えないのですし、そのほうが信仰的ですらある、と言うことができましょう。(第二コリント12:7~9参照)
              *
Q.それにしても、自分でも自分の病気の癒しのために祈る信仰が欲しいです。信仰を強くする秘訣はありませんか。
A.割合に簡単です。多くの人が考えておられるほど難しくありません。あなたは既にイエス様を信じて居られるのでしょう?
Q.はい、もちろん。
A.それなら大丈夫です。では、第一に父なる神様の全知全能を信じることです。少なくとも、そのことをちゃんと心に刻み込んでください。そうすると、神様のほうから強力に聖霊様をくださって否応なしに信じさせられるということが起こるのです。聖霊の油注ぎなどと言われる体験の一つでしょうか。第一コリント12:9の「御霊による信仰」がこれでしょう。こうした聖霊体験を受けたときの信仰は絶対に崩れません。もう絶対です。しかしもう一つは、私たちの自己訓練によって信仰の強化と拡大をはかる道もあります。
Q.ぜひ教えてください。
A.信仰の基本というか、基礎は申すまでもなく、イエス様の十字架による罪の赦しの信仰です。しかし、それとは別にまだ見ぬものを獲得する信念的信仰や積極的大胆信仰というものがあるのですね。くわしくは別の機会に申し上げたいですが、
 第一はまず、「言葉」による信仰の強化です。「信仰は、言葉を受け入れ、言葉を口で言い表すことから始まる」という原理の延長線上です。心の中で小さい声で「私の病気は癒された」と言うだけでもよいのです。さらに第三の実行をご参考に。
 第二はイメージです。具体的、映像的、力動的イメージが脳中に確定されるとき、言葉の信仰が「既に得たり」という一種の感覚的実感的信仰に変わります。確定的希望、揺るがない信仰になるのです。神様の愛が聖霊によってそれを実現させるのです。
 第三は実行です。すでに癒されたものとして、出来るかぎり体も動かしてください。無理をする必要はありませんが、少なくとも「私は癒された!」と第一に申し上げたように声高く叫ぶことです。この時、肉体的パフォーマンス、手をつきあげ、相撲のしこを踏んだりして、元気づけるんです。(1997.4.11.の旧稿)

〔補遺〕
1頁の巻頭文に加えて書きたいことを以下に。私の「平和論」です。これは多くの人々に青くさい夢想論に見えると思う。世間を知らぬたわごとだと思うだろう。しかし私は本気で真剣である。▼ある国が元首から末端の国民一人一人まで絶対的非戦論者で、ある国から侵略された。武器も無ければ、また誰ひとり抵抗もしない。そうすると、トルストイの「イワンの馬鹿」のようには、問屋はおろさない。国民の多くは虐殺され、天皇様も総理大臣も殺され、国は全滅した。しかし、そのすべてを神様は見ておられた。▼天国で神様は待って居られた。そして帰ってくる一人一人に神様は言われる。「良かった。なんじらの国は地上では滅んだ。しかし、天においては汝らの国の名は永遠に記念として刻まれる。個人はともかく、国として斯くも真理のために殉じた国は無かったからである」。このように神様に称賛される国に、自分の国をささげることは実は非常に辛いことである。▼ちょっとやそっとで覚悟できることではないが、幕末の偉大なる教師、吉田松蔭なら、こういう事を言いそうな気がした。それが戦前、私がひとり思いつめていた思いであった。《く》

〔お知らせ〕
今週のリバイバル新聞、新城教会での奇蹟、対談「非戦論」、「ワーシップの神髄」「トランスフォーメイション」の原則等、必読!

〔あとがき〕
フルゴスペル別府教会で持たれた李相烈先生の聖会は凄い聖会でした。私は素晴らしい預言をいただき、更に信仰を拡大強化する希望と確信を与えられました。感謝!《く》
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by hioka-wahaha | 2005-10-30 00:00 | 日岡だより
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