No.657 新会堂にて、初めての礼拝 2014.8.17

新会堂にて、初めての礼拝
 
 一月四日、昨夜の雨もやみ、新会堂にて、最初の礼拝をいとなみました。会するもの、二十名、清新の気分、喜びにみたされて、まことに素晴らしい第一回の礼拝でした。
 「イエスは主、イエスは主」と、さんびの自由唱を合唱する時、会堂の音響が、わりに良好で、これまでの畳の上の集会とことなり、いささかいわゆる「教会」に行った感じになりました。
 メッセージは、ローマ人への手紙第十二、第十三章を用いました。「ヘビは何度、皮がぬけても、もとのままのヘビです。しかし、さなぎは、全く内部構造が一度解体され、肉体組織を再編成されて、蝶に化体(メタモルフォー)されます。キリストの霊によりて新生された人は、心がもう一度解体され心が化体(メタモルフォー)されて、新しき人になる。そういう人は、あたりは夜であるのに、一足早く朝を身内に感じてトキをつげるにわとりのように、世を先んじて朝を知り、昼の衣を身にまとって、昼の行動をする。そのような人に造りかえ(メタモルフォー)られる。そういう人は、神に喜ばれる事、神に受け入れられる事、全き事が何であるかを実証して悟り、且つそういう聖化された生活を神にささげることができる。何度も何度も決心しては失敗する、ヘビの脱皮術のごときものではない、本当に心が『解体→化体』する変身を経験しなさい。これが、第一次回心したものの、次への道程です。」と語る。
 集会後、しばらく茶菓にて愛餐の時。初めてこの礼拝に出席されたK兄と、心ゆくまで話しあえて感謝でした。
 この月、中旬より、小学生の為の礼拝をはじめたく思っています。
    (1976.1.11「キリストの福音」より)
 
 
一九七六年
   三つの姿勢、三つの目標
 
 一年の計は元旦にあり、などと昔から申します。私どもの教会の今年の目標を、主に示して頂きたくて、切に祈りました。昨年のくれ、の事でした。その時、主は私に三つの姿勢と、三つの個人的具体的目標を、教えて下さいました。
 三つの姿勢とは、神さまに対する、私どもの取るべき、三つの姿勢です。それは
 一、神にささげる。
 まず、何事も神にささげる態度で、神さまに接しよう。礼拝も、伝道も、奉仕も、生活も、まず第一に神に捧げるのだと、心にきめてかかろう。そうすれば、成果の上がらぬ事も自分の失敗も苦にならない。また逆に、立派にやれたとて、心に誇る事はない。ただ、よき捧げものが、主に対して出来た事を謙虚に喜ぶだけだ。
 二、神にもとめる。
 次に、すべての必要を、神に求めるのだ。前述のような、捧げるべきものや、行為の力をも、凡てを神に求めるのだ。たとえば、ある人の家計の為に祈るとする。第一に、第一項のとおりに、その祈りを神に捧げる。しかし、その為には、この第二項のように、祈りを神に求めないと、他家の家計の為に、いかに祈ってよいか分からない。あるいは、隣人の為に、奉仕する時、その奉仕はまず神に捧げる為にするのだという気持でないと、その奉仕が、いやらしい偽善や傲慢の所作事になる。そして、具体的になにをするのかという行為を、神に求めないと、実際問題として、どうしてよいのか分らないのです。
 三、神に栄光を帰す。
 最終の態度。すべてがおわった時、あるいは途中で沙汰やみの時、あらゆる時、これは栄光の為だと、信じて、神に栄光を帰し神をさんびする。以上の三つが、三つの姿勢です。この三つの姿勢を持して、次の、三つの具体的目標を各自どうぞ持って下さい。
 
1.聖書と祈祷に、一日一時間ささげよう!
2.伝道! この一年、一人が一人を最後までみちびこう!
3.主のよき枝たれ。教会の世話をよろこんで、一人一役!
 
 右のような、個人目標を、是非あなたのこの一年の目標にして下さい。この目標をまず、「できるか」とか、「できない」とか自問自答する前に、神さまの為にするのだ、と言いきって神さまにささげるのですよ。そして、このような事を私にさせて下さいと、神さまに求めるのですよ。これらは、一切、主の栄光に帰す事です。主の栄光を担保にして、この為すべき力を主に求め、そしてこれをささげる(為しとげる)事を誓約するのです。
(1976.1.11「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2014-08-27 17:14 | 日岡だより
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