No.643 手術の痛みを負い給うイエス――山本和萬先生の証し―― 2014.5.11

手術の痛みを負い給うイエス
     ――山本和萬先生の証し――
 
 山本和萬先生は、私の最も親しい、且つ尊敬する同労の牧師であります。今度東京にいって先生のすばらしい入信当時の証詞をききました。私は長年つきあっていながら、初めて聞く話だったものですから、「なんで今まで黙っていたのです」と抗議したくらいです。多分、相手かまわず処も選ばず、しゃべり散らすには余りに勿体ない珠玉のような体験だったのでありましょう。
 山本先生は少年時代秀才でして(自分ではそうは言いませんが)、戦前の海軍兵学校に入学したのですから相当なものです。当時、県立Aクラスの中学校の一番か二番でなくては海軍兵学校に入れませんでしたくらいですから。ところで兵学校を出て戦争に行き、敗戦になって日本に帰る。物資もなく失業者の溢れているあの時代に、肺結核になりました。抗生物質治療の発達した今日、肺結核はそれほどの難病ではなくなりましたが、戦争直後の日本ではまだまだ死の宣告をうけるにひとしい大病でした。
 山本先生は、当時別府市街の背後地(なだらかな山のすそ野で本当に自然環境のすばらしい処です)にある石垣原国立病院に入院していましたが遂に肋骨六本をきり取る手術をすることになりました。これは相当な大手術で、まだ肺外科手術の始まったばかりの当時のことです。そんな手術をうけて、いったい手術室から生きて出れるのやら、死んで出るのやら、一向見当のつかない恐ろしいことでした。
 その手術の前日、山本先生は病院をぬけ出て近くの松林にはいりました。そして祈りはじめました。祈り! それは多分先生にとっては初めての経験ではなかったでしょうか。先生の話によると、入院当時先生はずいぶん茶目でいたずら好きの人であったらしい。御当人の口で言わせれば、「規則をやぶって、外食はする、目白取りに出る、看護婦はいじめる、そんな悪いことばかりしていました」ということになる。その頃、病院内で開かれていた聖書研究会にもちょいちょい出席していたけれど、そういう悪行(?)はやまず、熱心な求道者というわけでもなかったようです。その先生も、大手術の前日、不安や焦そうの中で思わず祈らずにはいられなかったのでありましょう。
 「神さま、私は本当に悪い奴でした。明日は手術です。死ぬかもしれませんが、このままでは死んでも死にきれません。これまでの私を許して下さい。私のすべてをイエスさまに委ねます。」
 このように祈っていると、不思議な平安が先生にやってきました。静かな信仰の喜びが心にみち溢れました。
          *
 さて、翌日手術室に入りました。執刀は、同級生の某氏で、胸の整形手術ははじめてで、それで用心に用心を重ね、大きく切り取ってゆっくり手術するから、大手術がいやが上にも大手術になったんだ、と山本先生は笑うのです。
 手術はおわり、個室に入り、麻酔がとけ、激痛が先生をおそいはじめます。一分、一秒の時間の経過に、もだえ、すがりつくようにして痛みをたえていく。このひどさは、今思い出しても気が遠くなる程です。
 その時、先生はふと昨日の松林での祈りを思い出しました。
 「昨日、神さまに祈ったんだったな。イエスさまに一切を委ねてしまったんだったな。しかし矢張り今、こうして激しい痛さの中ではたえられないなァ。イエスさま、あなたはよかったなァ。あなたは神の子だから十字架の上でも、どんなひどい目にあっても痛いことなどなかったでしょうから。おれはダメだなァ。おれは痛いなァ。」
 ―――そんなことを、激痛の合間合間に、とぎれとぎれに思うのですね。
 しばらくして、一つの声が、先生の心に聞こえたそうです。それはイエス・キリストの声でした。
 「和萬よ、そうじゃないんだよ。私は痛んだのだよ。あの十字架の上で。お前達の痛み以上に苦しんだのだよ。お前達、人間すべての罪、苦悩、痛みを背負って、私はくるしんだのだよ。今、お前が苦しんでいるその痛みも、既に二千年前ゴルゴタの丘の上で私が共に苦しみ、背負った痛みなのだよ」
 その時、先生はまだ次の聖書の言葉を知りませんでした。しかし、それと同じ内容の御告げを、書いた文字によらず、人の口の言葉によらず、御聖霊自らの働きによって心に受け取ったのでありました。
 「まことに彼(キリスト)はわれわれの病を負い、
 われわれの悲しみをになった。
 ……その打たれた傷によって、
 われわれはいやされたのだ。」
 (イザヤ五三・4、5)
 神の御子イエス・キリストが苦しんで、我々人間の罪苦痛を救うとは、人間の頭では理解できかねるバカバカしいとさえいえることでしょうが、「万物を造られた神様が、多くの人の子を栄光に導くため、イエス・キリストの苦難によって、その救いの御業を完遂なさるのは、神様にはふさわしいことである」と聖書は言っています。(ヘブル二・10)
 その不思議なる声ならぬ声がおわると同時に、先生の体の中に刷毛でぬぐうように、なにものかが通りぬけるのが分りました。そしてスッとあのきびしい痛みがなくなりました。その時から、痛みは決して戻って来なかったそうであります。
 こうして、山本和萬先生は、体も心も霊もイエス・キリストに救われたのです。《一九七五・九・二八 聖日礼拝説教の一部》
 
 
  私の悔改め 
 
 九月二十二日から二十七日までの東京・大阪旅行で多くのことを学びました。特に多くを山本和萬先生に学びました。それと、オズワルド・ズミスの「魂への情熱」を読んだのもよかったです。最後に二十五日の朝、日課でマタイ福音書第二十一章を拝読しました。そこの31・32にバプテスマのヨハネを信じた取税人や遊女たちは既に天国にはいっているとあります。
 私は二十二才の時、すばらしい回心をしました。人間とは妙なもので、神から恵まれたものを、あたかも自分でつかんだもののように誇りに思う処があります。
 そして、自分の霊的経験より低いと思われる人々の信仰(それが本当に低いのかどうか、天国に行ってみなければ分りません)をけなしたり批判したりします。それのみか、そんな程度では天国に入れませんよと言う。それが私でした。天国の門をしめて、人の入ってくるのをとどめるのです。
 ヨハネの悔改めの信仰、それのみを信じた取税人や遊女たちをイエスは神の国に入っていると確認しています。これはすばらしい事です。私には、悔改めの福音という事がよく分っていなかったらしくあります。クリスチャン・ホームに育ったおかげもありましょう、一気にパウロのダマスコ城外式回心をのぞむわけです。
 その故に、私のこれまでの伝道は、落果待機主義です。一個半個の手造り趣味です。機敏で多数を捉える救霊活動ができないのです。つまる処、霊能ショー(幕屋式)に陥らざるを得ません。
 私はもっともっと、「地の果てにまでいって福音を宣べ伝えよ」と言ったキリストの宣教の万人伝道・大漁主義を素直に信じたいのです。単なる伝道でなく、救霊だという事に目をさましたいのです。今後、多数の求道者を与えてください。凡ての求道者を主の御名にあずからせる熱情を与えてください。かく祈っています。《一九七五・九・二八の礼拝説教の一部》
(1975.10.5「集会だより」より)
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by hioka-wahaha | 2014-05-21 01:01 | 日岡だより
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