No.637 死を考え生を考える(10)枯れ木に花が咲く 2014.3.30

死を考え生を考える(10)

枯れ木に花が咲く

 私は信仰による治療(つまり神癒)を信じている。私はその点、超保守派。聖書に書いてあるとおりに信じる。だからといって、この肉体人間が死ぬことはないなどとは言わない。万人すべて一度は死ぬと、聖書にもはっきり明記してある。死をまっとうに認めて、それを受けとめることこそ、古来の覚者たちの姿であった。
 良寛和尚はある人への手紙で言っている。「病気をするときは病気をするがよろしく、死ぬときは死ぬがよろしく候」。自然随順ということである。
 神さまの意志、あるいは天地の法則に逆らうことなく、花が咲いても雪が降っても、地震がおこっても台風がきても、人生に何が起ころうとあわてない。恐れない。あるがままに受けとめて最善をつくしつつ、死ぬときは死ぬ。こういう人物には運命も味方する。聖書では運命とは言わない。神様の摂理だと考える。神様の深淵(えん)な思慮と計画は人間の思惑を超えて不思議な運命を織りなしてくれるものである。
 この点では最近、芹沢光治良の「神の微笑」という本を読んで、たいへんおもしろかった。天地創造の目に見えない神様が、いかに実在的で総合的叡智(えいち)に富んでおられるか、それを実証的に名文をつづってくれるから楽しい。もっとも、まじめなキリスト教徒だったら腹を立てそうなアニミズム的なところもある。
 さて閑話休題。快にして老たけき作家、宇野千代さんのお父さんは、放蕩(とう)無頼、半狂人のような人。この人に千代さんは育てられた。無理、難題、残酷なこと、どんなことでも理屈なしに命令するお父さんに、千代さんは主君に伺候する侍のように忠実に従ったらしい。そんな経験が、宇野さんのその後の人生で、どんなことでも苦しいとは思わず、楽しいこと、愉快なことと思う習慣をつくったのだと、お千代さんは述懐している。いわば、いじめ尽くされた少女時代と言えるが、そう思わないで感謝しているところ、さすが彼女です。
 これはすばらしい教訓。あなたの人生にいかなる困難、無理難題がやってこようとも人をうらまず、あなたがもし神様を信ずるなら神様をもうらまず、この宇野千代さんのように「ハイ」と従えるなら、あなたは最大の幸福の秘訣(けつ)を握ったことになる。
 仏教的な方々におすすめする。こう考えるのも良い。あなたに不幸、不運、逆境がやってくる。それがなんの因果か、因縁からか分からぬが、とにかくこの病気、貧乏、不和、不運、すべてありのままお受けする。結果を徹底的に受けいれてしまうとき、原因の因縁はなくなってしまう。キリスト教では言わないことだが、「因縁切り、因縁切り」と、よく言う。木の臼に火をつければ、木と火という関係の因縁と因果で臼は燃えあがってしまって、因縁は切れる。そして灰が残る。その灰を枯れ木にまけば花が咲くという、新しいよい因縁が生じる。花咲か爺の物語である。花咲か爺こそ、日本の“積極思考”創始者である。
 聖書は言う。「生るるに時があり、死ぬるに時があり、…」(旧約聖書・伝道の書)。生死の時は神の手の中にある。私はそれに「ハイ」と言って、随順しよう。(終り)
(1988.10.6~19大分合同新聞で連載。全10回)
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by hioka-wahaha | 2014-03-30 23:09 | 日岡だより
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