No.634 死を考え生を考える(7)生命飛躍の好機 2014.3.9

死を考え生を考える(7)

生命飛躍の好機

 かつての悪名高き戸塚宏氏が「脳幹」を論じている。脳幹は人間の脳のなかで最も本能的な脳である。この脳幹をきたえて精神の基礎訓練をしなければダメな子に育つ。その基礎訓練としては肉体的に危機感を与えるのが一番よいというのが、もちろん“教育的適切さをもって”とつけ加えるだろうが、例のヨットスクールの指導概念らしいのだ。なるほど一理あると、私は思った。
 この八月、がん患者の人たち一行でモンブラン登山を決行した「生きがい療法」の皆さんのなかの一人、椚(くぬぎ)さんの書いたものを読んだ。それによると、同山上で天候は急変し猛吹雪や雷に遭い、厳寒のなかで大変だったようだ。最後にはクレバスに片足が腰まで落ちこむというアクシデントがおこって死の寸前までいった。そうした健康人も及ばぬきびしい登山をすませ、日本に帰ってきてから驚くほど元気になった。なによりも「がん」という言葉を聞いても全然動揺しなくなった。以前はがんと聞いただけで拒否反応がおこっていたのだが。などという記事を読んで、私は前述の戸塚氏の説を思い出さざるを得なかったのである。モンブラン山上で椚さんの脳幹は極度の刺激を受けたのに違いない。
 国立千葉病院の医師であった西川喜作氏は二年七カ月にわたるがんとに闘いの末、一九八一年に世を去った。この西川医師に関するものを読むとき宗教家として非常に深い関心を寄せることがある。同医師が自らの病状を同僚の医師より聞いて死の近いことを確認しつつ病院の玄関を出るとき、そこにある植木や花々が言いようもなく光り輝いて見えた、というくだりである。
 インドの詩人タゴールが宗教的回心をした時、遠くにつらなるヒマラヤの山々が光を放って見えたという。神秘体験の一つである。内村鑑三にこんな歌がある。「あるものの胸に宿りしその日より輝きわたる天地(あめつち)の色」、同じ経験である。私の父はそれをきたない納屋の中で体験した。その納屋が王宮のように黄金色に輝いたという。
 宗教体験の一つとして、こうした生命飛躍体験とも呼んでみたい境地があるものだ。他の例の一つ。禅僧白隠は越後高田の道で夕刻の鐘の音を聞いてこつ然と悟った。彼はいきなり荷物をほうり出し、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)手の舞い足の踏む所を知らないという風であった。しかし白隠は光輝現象は見なかったようだ。
 さてモンブランの椚氏や西川医師は死を身近にひかえたとき、宗教とは一応関係なしに、このような一種の飛躍体験をした。これは異常心理学の問題であるのみでない、私たち宗教家から見れば、死というような極限状況において一般の人々もしばしば高度の存在感、充実感、価値感を味わい得たということに興味をいだくのである。
 ともあれ、死を間近にした末期的症状の方々には、このような信仰的人生最大の好機が訪れているのだということに関心を持っていただきたいのである。
(1988.10.6~19大分合同新聞で連載。全10回)
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by hioka-wahaha | 2014-03-13 01:18 | 日岡だより
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