No.627 須佐男命(すさのおのみこと)と天照大神(2) 2014.1.19

旅する手紙 第15号(1961.3.23)
 
須佐男命(すさのおのみこと)と天照大神(2)
                                             くぎみや・よしと

修養とは修(おさ)め養(やしな)う。この頃、私の処の子供が鳩を飼っていますが、おいおい伝書鳩にでもしてみたいのでしょうが、これが養いつつ修めさせることですネ。心に思い通りの技術・知識・くせをならわせるべく養っていくこと、これが修養です。最近の人は物質的知識や技術は大したものですが、心の(又霊的な)方面では全くゼロです。
 閑話休題、もとに戻って、まず天照大神型、誰もいない処(私室・教会や道場など・山の中etc)で全くひとりきりになります。天照大神が天の岩屋にひきこもったようにどこかにチョットの間(十分から三十分ほどの間でけっこう)ひきこもります。次には、須佐男命型です。その時のあなたが持っている感情をそのままズバリ百%噴出できるまで、叫ぶなり泣くなり笑うなり、不平ぐちこぼすなり、とんだりはねたり寝ころんだり、或いは案外ジット坐禅していたり、とにかく思いのままに心を外に露出して下さい。何もかも忘れて、赤ん坊のように、子供のようにハメをはずして、気ちがいのような時間をすごしなさい。
 あなたは時々、「ああ、オレも気ちがいになってみたい」と思うことがありませんか。それです、それです、その思いを十分にかなえてやる事です。但し、一人でね、チョットの間ネ。誰にも迷惑のかからぬよう、然し思う存分、思いのありたけ気のすむ程ワメクなり笑うなりして下さい。
 
 「王さまの耳は馬の耳」という秘密をしゃべることを禁じられたばかりに、病気になってしまった床屋の話を西洋の民話で読んだことがあるでしょう。彼はとうとう、しまいにたまらなくなって裏の山に行って、地面に穴を掘りその中に首をつっこんで(木のホラ穴だという伝承もあるが)「王さまの耳は馬の耳」と気のすむまでいうと、心もはればれとしてきて、そのうちにさしもの病気もすっかり治ってしまったというおハナシです。この民話くらい心身相関性の病気の説明をしてくれる判りやすい例話はありません。
 この民話に出てくる床屋に学びなさい。昔の王様は、今では社長であったり、姑さんであったり、となり組のオカミさんであったりします。そんな連中に遠慮して言いたいことも言いませんと、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」でしてね、万病のもと、ヒステリーやかんしゃく玉の原因です。
 始めに引用しましたイエスの言葉のように、子供の世界に帰って無心に、内からおこる衝動のままに動き語る(or暴れどなる orおどり唄う)ことを学び始めなさい。これは、肉体も精神も霊魂も真の健康を恢復する第一歩であります。まず始めに解毒剤のような作用をします。ずい分バカげた奇妙なことだと思うかもしれませんが、これは実はずい分と意味の深い内容の大きい事なんです。バカにせずに実行してみられるようおすすめします。
 
 〔附記〕宗教的な祈りの実修もここに書いたような気持でするといいのですね。気のきいたお世辞たらたらの祈祷文を上奏するより「ワーイ、神さまのバッケヤロー」とどなってやる方が神さまもよろこんでくれる事がありましょうからね。(終り)

※「旅する手紙」のシリーズはこれで終わりです。

(「旅する手紙」・・・1961年2月から3月にかけて、回覧誌のような形で書いたもの。肉筆の複写版。原文縦書き)
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by hioka-wahaha | 2014-01-24 23:07 | 日岡だより
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