No.625 昨日・今日の祈り(2) 2014.1.5

旅する手紙 第14号(1961.3.22)
 
昨日・今日の祈り(2)

         四
 私の昨夜から今朝にかけての祈り―――
「私は凡てを神に捧げる。
私の凡ては神に導かれる。
私の内には神性がある。
外皮をつきやぶってそれが完全に発芽し生長する。
パラクレートスの霊が私を助ける。この聖者のゆえに私は凡てをはじかる事なく神に求めいのる。すべて厚顔に……」
         五
 パラクレートスの霊とは、新約聖書のヨハネ伝後半にしばしばでてくる「助け主、真理の御霊」のことです。たとえば、ヨハネ伝十四章十六節
「(イエス曰(いわ)く、私は天界にのぼり父のみもとに行ったとき)わたしは父にお願いしよう。そうすれば父は別に助け主を送っていつまでもあなた方と共におらせて下さるであろう」
 助け主の原語はなぐさめ手とも訳せるパラクレートス、「そばに居る者」の意。(そばに呼びこまれた者とでもいうか)
 イエスが肉体を脱して天界に昇ったあと、父なる神はイエスの代りに(イエスとは別に)、私のそばまで来て私を助けてくれる霊者を送ろうというのですね。
 パラクレートスは「そばに招かれる者」の原意を持っていますから、ある意味からいえば私達の方から、招き呼ばなくては来てくれないのかもしれません。
 又、これまで私達についていた「守護霊」に転任を命じて、別に新しく聖なる真理の守護霊を送って下さるというのかもしれません、そうです、多分そうでしょう。よくは分りませんがね。
         六
 キリスト教で「聖霊」というと言葉で何といおうと実感としては神の感化力とかキリストの霊波というくらいにしかうけとれず、アイマイな人です。ある聖潔派の牧師が聖霊を「御聖霊さま!」と呼んで全く人格視しているのをみて感動した事がありますが、それをもっとつき込むと、右のような「守護霊」説がわいてきます。
 四章の祈りでいうと、こういう守護霊は本当に私についてのコマカイ処一つ一つのぞき込むようにして見てくれ守ってくれる親わしい有難い霊者です。
         七
 今、中学に行っている子供が帰って来て、PTAに行ってくれといいます。
 「オヤ今日がPTAだったかい」
 と、腰を上げかけた処です。ではこのへんで失礼!サヨーナラ。(終わり)


(「旅する手紙」・・・1961年2月から3月にかけて、回覧誌のような形で書いたもの。肉筆の複写版。原文縦書き)
[PR]
by hioka-wahaha | 2014-01-08 15:09 | 日岡だより
<< No.626 須佐男命(すさの... No.624 昨日・今日の祈り... >>