No.623 神との会話 2013.12.22

旅する手紙 第13号(1961.3.22)
 
神との会話
                                 くぎみや・よしと

 ある朝、私は合掌して祈りました。
「天のおとうさま、主さま!」
 何度もみ名を呼びますと、そのうちに静かなる細き声で答えてくれます。
「なんだい、我が子よ、なんだい、我が子よ」
 と、何度も私の呼びかけに対してやまびこのように答えてくれるのです。
「おとうさま、私の凡てをあなたに捧げます、私の凡てはあなたのものです」
「おう、そうかい、たしかにそうだよ」
「おとうさま、一刻一刻私の為すこと言う事あなたのものです」
「おう、そうかい、たしかにそうだよ」
「私のこれからの生涯はすっかりあなたに委ねます、心配いりませんね」
「おう、そうかい、心配しちゃいけないよ」
 私はいつまでも語りかけました。ここにはそういつまでもダラダラとは書けないようなくだらぬ事を、いつまでもムダ話するように神様と話し合っていました。たのしい一時です。愛人と土堤で坐りこんでムダな話をいつまでもたのしんでいるように、いや幼児が何やかやとしゃべりかけるのを
「おう、よしよし、よい坊や」
 とおとうさんが機嫌よくお相手してくれるように、神様はなんでも気軽にお相手をして下さいました。
 あとでよく考えると、神様のお答えはいつも肯定の言葉でした。神様はノーと仰言らぬ方でしょうか。私が子供みたいだから、いまだに「おうよしよし」と甘やかされるのでしょうか。どうでもよい、私はいつまでも、この天のおとうさまに甘えていたい、と思うのです。
 
 私が神様に問いかける、神様は私が心の底でこう答えてほしいと望んでいるような答えをしてくれます。私は満足で小バナをふくらませます。そのくせそのトタン、私の心には変化がおこっていて、さき程問うたときとは又ちがった立場や思いになって、新しい問いが私の口をついてでます。再び神の答えは「おう、そうだよ」です。しかしその時またもや私の心は回転しはじめるのです。神の言葉は表では(といっても耳に聞こえる世界ではないが)私の心に逆らわずいたわり甘やかしてくれながら、もっと深い裏の世界で、私の心を背後からつついて転換させるのです。
 神の声にも表と裏がある。このことに気づかされて、その朝は大いなる収穫でした。
 
 人間には表面意識を深層意識があります。
 これを「心(精神)」と「魂」と言いかえてもよい。「表」と「裏」ですね。私が表の心(表面意識)できいたことは神様も表の心がナットクするように裏の心のチャンネルで答えてくれます。しかし同時に、裏の心(魂=深層意識)ではもっと深い真実の答えが別のチャンネルを使って伝ってくるわけです。これが霊の世界です。この神様の本当の(といっても表の答も本当なのですが)答は誰でもきいているのですが、ただそれを表面意識というスピーカーに回路が通じていないのですね。
「汝らしずまりておるべし、されば我が神たるを知らん」
 と旧約聖書の詩人はうたいました。これは心のセットの各回路を整備せよという事です。心が静まらなくては神は見えません。
 
 では友よ、再び合掌して諸君の御祝福をいのります。
 神のめぐみ、平和、ゆたかならん事を。アーメン
 
(「旅する手紙」・・・1961年2月から3月にかけて、回覧誌のような形で書いたもの。肉筆の複写版。原文縦書き)
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by hioka-wahaha | 2013-12-28 22:03 | 日岡だより
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