No.622 『人間改造ただ一つの道』(2) 2013.12.15

旅する手紙 第12号(1961.3.20)
 
『人間改造ただ一つの道』(2)
                                 くぎみや・よしと

 昨日、ニュースが入って、その老婦人が、数日前『もう悟りたいなどという事も忘れている時に、フイに悟りました。ある人が電車に一歩乗ろうとした時、フイにヌけたという事を聞いて、そんなものかいなと思っていましたが、ホントにそんなものだと今分りましたヨ。あの頃、私にいいたくていいたくてたまらんでハガイがっていた事は分っていたが、本当に今分る。口で言える事じゃありませんからね。この心の中の事は、誰にいうても判らん。ただ判った人だけが判ってくれる。どうしてこうなったかと先生がきいたら、ただ御慈悲によってじゃと、こういうておくれ』とある人にことづてしてくれました。これは私の手許に来た最近の最大のニュース。
 いわゆる世間から見れば、又たいていの宗教者から見れば『より分った人』といわれるような人、体当たりしてできるような修行なら、大凡(おおよそ)してしまったような人、そんな人でも、このように『ぬける』までは本当の安心(あんじん)はできません。
 私もこのニュースには嬉しくて、その夜祈っていて嬉しくて泣きましたね。伝道なんて、足と口でするんじゃなくて、矢張り神様がする事でした。(祈りの世界で。)
 思いもかけぬとき、ある日トツゼンに、ある人の心にぐるりッと大変化がおこる、安心と確信と喜びと希望がわいてくる、神の世界がソラごとでない、全く身近に実感できる、そういう事がおこる。これはまことに神様の恩寵によってのみおこる事です。
 道徳は風船に息を入れずにシワをのばそうとするような事です。宗教とはシワをのばせとはいわずに息を吹き込むことをすすめることです。息を吹き込むとは、前述の婦人のように、魂のドン底に何か人間界と異質なあるものがドカーンと入り込む事、神性がやどる事、人間的性情にひびが入る事、人間が生れかわる事です。
 池田首相が待合政治をやめかけてややノイローゼらしいなどと一カ月ほど前新聞のゴシップになりましたが、さもありなん。内に何も無くて、強情がまんだけで格調高い政治をやろうとしても、どこかムリが来て、おしまいは胃ガンか何かで躰いためねばいいが心配です。
 大事な事は、道徳教育ではない、大臣以下諸先生方の人間改造です。修行ではない、神性がドカンと天下って一瞬にして人間がかわるような奇蹟的な人間改造です。
 病気なおしたり不可思議なワザをする奇蹟では人間は改造できません。この奇蹟のみが人間をシン底から改造します。(終わり)
 
(「旅する手紙」・・・1961年2月から3月にかけて、回覧誌のような形で書いたもの。肉筆の複写版。原文縦書き)
[PR]
by hioka-wahaha | 2013-12-22 02:59 | 日岡だより
<< No.623 神との会話 20... No.621 『人間改造ただ一... >>