No.617 自分で自分を苦しめる信仰はやめましょうや(3) 2013.11.10

旅する手紙 第3号(1961.3.20)
 
『自分で自分を苦しめる信仰はやめましょうや』くぎみや・よしと

 (つづき その2)
 イエスは生前、大酒のみの大飯食いと嘲笑されています。イエスの生活態度は現今のキリスト教会のと○○○○○○○(←原稿が切れて読めない)違います。
 沈痛な顔をして悪い事しやせぬか人をつまづかせはせぬかとオドオド生きている事は凡そイエスの考えた信仰生活とはまるで逆です。イエスは勇壮活発に堂々と生きられた。人の家のイチヂクの木を勝手に枯らせてすましていた。人の豚を海に二千匹も溺れさせておいてケロリとしていた。人のロバをただ乗りして平気だった。人の家の二階で宴会する事を相談もせずに一人ぎめしているイエスの図々しさ……このイエス像にびっくりしませんか。このくったくのない暢気なイエスを現代人は忘れています。
 神様の「よい子」になろうとするよりは神様に「可愛がられる子」になりなさい。
 神様の聖霊をうけなさい。あなたのうちにこの神の霊が下る時、一切が好転します。その事がおこる前に「ああすべきだ、こうすべきだ」と我と我が身をしばってみても、できる筈もないし、した処でそれは偽善で、更に悪い事です。あなたマジメな顔をしているよりバクチ打ちの方がスナオで朗らかで神様にほめられるかもしれませんよ。
 どうも少し字が荒れて来ましたね、ゴメンナサイ。
 もう大体申し上げたい事は申し上げてしまったらどうぞご遠慮なく。
 ただ、二、三、蛇足的に気づいた事をつけ加えます。
 クリスチャンには謙虚な人が多いのですが、これが多くの間違っています。イエスは謙遜なれといってケンソンの最もいい例に幼児を持ってきました。あの我がままなヤンチャな幼児をみて下さい。あれがケンソンなんです。どうですケンソンな信者さん方とは大分違います。多く人のケンソンとは無力感から来ています。キリストの能力が内に充実してくると一寸かわった事がおこります。多くの人は人の前で謙遜で、神の前に不遜です。まず神の前に謙虚である事です。すると対人関係は自然に判ってきます。
 またクリスチャンの多くの人が貧乏や病気で悩みます。それが十字架だといいます。そんな事あるもんですか。十字架とはもっと大きく重く、多くの人の知らない秘儀を持っています。チョッとした事件、苦悩をすぐ十字架などというのは思い上りも甚だしい事です。まず、我らの病気、貧乏、不安をぐいと救い上げてくれる実力あるキリストを体験して下さい。十字架などというのはそれから先の事です。(ヨハネ第三の手紙二節参照)
 キリストの十字架の教理については御存知の事と思うのでふれませんでした。ただこれを教理として承認するのではなく、事実として体験しなくてはダメ。以上。
 (終わり)
 
(「旅する手紙」・・・1961年2月から3月にかけて、回覧誌のような形で書いたもの。肉筆の複写版。原文縦書き)
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by hioka-wahaha | 2013-11-30 23:02 | 日岡だより
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