No.615 自分で自分を苦しめる信仰はやめましょうや(1) 2013.10.27

旅する手紙 第3号(1961.3.20)
 
『自分で自分を苦しめる信仰はやめましょうや』
                           くぎみや・よしと
 
         (1)

 世間では信仰とはずい分苦しいキュークツなものと笑思われています。(ここで笑という字に書き損じたのは面白いじゃありませんか。実際キュークツな思いで信心信心といっているのは天界から見れば笑止な事でしょう。フロイドの「生活心理の錯誤」を参照)
 この手紙は多分キリスト教の人が多いと思うのでキリスト教風に書きます。
 現代神学の基礎になっているカールバルトの名著に「福音と律法」というのがあります。福音とは喜ばしい解放・勝利の音づれであり約束であります。神はまず人間に向かって福音を投げかける方です。ところが、人間がこれをきくと律法としてうけとめるのです。
 私の子供に今一人、なかなか絵の上手な子がいます。「お前、絵が上手だから絵かきにでもなれヨ。絵の先生とこに行けよ」と言ったとします。そうすると、「イヤだよ、絵じゃメシ食えんから」となかなか現実的なことを申します。これで我々親子の会話はたのしく終るわけですが、しかしもし、この私の言葉を子供がスナオにうけとめて「ウン父ちゃん、絵かきになるよ、美術学校にやってくれるかい」といったら「よしきた」と私は喜んで引きうけるのです。私の始めの言葉は子供に対する「才能開発の啓示」でもあるし、また「はげまし」「約束」でもあるわけです。ところがこの言葉を「命令」と聞いて、いやでも絵の勉強せにゃならん、嫌いだけれど絵の塾に行かにゃならん」と考え始めたらツライ事ですよね。
 世の中では勿論、子供に対し無理解で圧倒的な親も多く、泣く子を無理にヒッパタイテ親の好きな事をさせる人もいます。神様を「天のおとうさま」とよぶから、神様もそんな方と思いこむのは大きな誤解です。神様を天のおとうさまと呼ぶのは、「父」というものの原型が神様であるということです。神様が父のような方なのではなく、世にいう「父」が神様に些かでも似ているという事です。世の親の欠点をみて、それが神様にもあるんだと思うのは、これは誤解ですヨね。
 旧約聖書で、よく神様が「怒る」とか「報復する」とか「審(さば)く」とか言います。すると人間は(預言者たちさへもがしばしば)人間的なドウモウな怒り、残忍な報復、専制君主の身勝手な裁判を思いおこしてあんなものだと思うのです。しかし、神様の報復とは例えばどんなものか、旧約聖書のホセアは彼の背倫の妻を買い戻した時に彼の先輩の預言者たちとは全く相反した愛の報復に気づきました。
 旧約聖書で考えられている、古代王国の世界制覇の野望をたくましくしたようなメシアの来臨(神様がメシアの来臨を預言すると受取る方の人間の側は自分らの住んでいる世界の姿のままに翻訳して聞くわけです)を、イエスはスッカリ裏返しにして全然違った形でこれを成就しましたね。(つづく)
 
 
(「旅する手紙」・・・1961年2月から3月にかけて、回覧誌のような形で書いたもの。肉筆の複写版。)
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by hioka-wahaha | 2013-11-30 23:00 | 日岡だより
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