No.609 あとがき・ゲリラの言い分 2013.9.15

あとがき (1972.9.6「大分通信」No.8より)
 
 私事にわたって恐縮ですが、今月(九月)は俗用多忙で寧日ひまなしということになりそうです。
 この通信も、しばらく出せないかもしれません。
 尤も、ナポレオンですが、人にものをたのむ時は忙しい人にたのめと言っている。ひまのありそうな人にものを頼んでも案外何もしてくれず、してくれてもトカク仕事のつぼを外れているものです。
 ご遠慮なく、御相談あればお申しこし下さい。
 実は、私の幕屋造り(パウロにならって言えば)である光研印刷(株)の業務は、今月限りで止めます。
 来月より、合併して大分県印刷センターと呼び、その工場は東九州一になります。そこの総務部長に就任するつもりです。
 
 
 〔特別記事〕
ゲリラの言い分 (1972.9.6「大分通信」No.8より)
 
 長い間、そこには貧しいが愉快なA家が住んでいました。昔々、そこはF家の屋敷だったという言い伝えがあります。そして、長い間、F家の人々は町中のあちこちの家にドレイか居候のようにして分れ住んでいました。
 街中の有志の話合いで、もうこれ以上F家の人々を別れ別れにして各家に預かっているのは非人道的だという事になりました。それにそうでも言わねば何か不都合な事情があるのでしょう。彼らは急にA家のものを追い出してそこにF家の家を建ててやりました。
 F家の人々は長い間の辛惨な生活から解放され、勤勉にまじめに働いて、次々と家財を増やし、平和なホームをきづきました。
 それを見てくやしいのは、A家の子供たちです。彼らは街の乞食となって放浪し、遂に鉄砲や手投げ弾を用意して、平和なF家の庭園パーティーになぐり込みをかけました。何も知らぬF家の子供たちは可愛そうに無残な死をとげました。
 街ゆく人はA家の子供を、平和をみだす人非人と呼びました。A家の主人も、かくれたA家びいきの人も、この事件には頭をかかえてしまいました。
 A家の子供ゲリラは何人か死に三人は逃亡しました。逃亡したゲリラはこう言っているのではないでしょうか。
 「何が平和の家庭だ。それはぼくらの乞食生活を踏みつけ、ぼくらの涙を見て見ないふりして、平和ならざるに平和平和と言っているだけではないか。F家の子供がガーデン・パーティをたのしんでいるのは、ぼくらの犠牲の血に酔っているのと同じではないか。ぼくらのどこが悪い。
 自分の家をまもり、自分の生命をまもる為、人の国に出かけていって人殺しをするのはニクソンだってやっているじゃないか。」
 (オリンピック、ゲリラのニュースをききつつ)
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by hioka-wahaha | 2013-09-28 23:14 | 日岡だより
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