No.602 富に仕えず 2013.7.28

富に仕えず(1972.6.24「大分通信」No.5より)
 
 「金と富とに兼ね仕うること能わず」と言うのは、本当のことと思います。しかし、「気に入らぬものは切り捨てごめん」というように(赤軍派の諸君の如し)、「私は神に仕える、金の事はいっさい知らん」という切り捨て論法で、果して世の中を渡れるだろうか。
 イエス自身、集団の会計をユダにまかせていました。金を捨てはしませんでした。イエスは、金にツカエませんで、金をツカイました。
 狂信的に金と縁を切るというても、それは金にまつわるキタナイ仕事を人にさせて、彼はそのあぶくを吸うて生きていくという事になってしまう。
 昔、竹林の七賢人は世俗を逃れて山中にイントンしました。現代の社会ではそんな事は許されません。戦争中の私が一番困ったのはその事でした。近代国家は、戦争する時、総力戦というヤツをやるので、百姓していても魚つりしていても戦争協力になってしまいます。本当に戦争に協力せぬ為には死ぬより他はありません。
 今の経済的社会はそれによく似ています。金の影響から離れて生きていくなど、グァム島の横井庄一さんででもなければ本当に不可能です。「俺は絶対金に仕えない」と気張って生きるより、「金になめられず」「金をだましだまし」「できるだけ金に毒されず」「時に汚れた時は、ためらわずてれず手を洗ってもう一度」「金を支配する」途を探す事の方が可能だし、大事だと思います。
 但し、人それぞれに、気質・器量・縁があるので、黄金公害に濃くそまる人、浅くつきあう人いろいろでしょうが、互に批判し又、いばる事はありますまい。ただ、導かれるままに、ある人は聖人乞食の如く、ある人は俗人拝金者の如く、使命に従って生きるべきだと思います。
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by hioka-wahaha | 2013-08-03 21:50 | 日岡だより
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