No.598  日々新生( 六月十四日(金)) 2013.6.30

「神の息よ吹け」1974年7月号
-「心に満つるより」改題・通巻第10号-


日々新生
 
六月十四日(金)朝日新聞の朝刊。岩手県衣川村立診療所長の橋本行生氏の寄稿あり。
「医療」を、免許証をもつ医師や看護婦しかできないものときめてかかっているのが、今日の医療の混迷の最大の原因であるという。そして例の築田氏の赤本(知る人ぞ知る民間療法の実験的集大成の良書)をテキストに、「ぎっくり腰の治療講習会」などを開いたという。これが公立の診療所の所長先生のなさることだから痛快。▲似たような問題は、時折社会面をにぎわすニセ医師。しばしば「ヘェー、あの先生がニセ医師ですって。なかなか親切で、見立ても上手な先生でしたがね」などと、近くのおかみさんの声が出る。アル中で手がぶるぶるふるえている院長先生の命令で、無資格の事務長さんが、結構院長先生以上の名国手ぶりを発揮する。そういう例は案外多いと風聞する。本当にこわいのは、無資格のニセ医師よりも、レッキとした有資格のニセ医師先生である。▲もう一つ、似たような問題が、教育の世界にある。有資格の教員よりも、昔流で言えば代用教員の方が、さらに代用教員よりも、用務員さんの方が、教育者としてホンモノであったというようなことがおこる。▲現在の教育で最も気にかかることは、義務教育の場では、被教育者の手で学校をも教師をも選択できないという事。親が子供に教育を受けさせる義務を負うているのは、国家に対してではなく、その子供に対してである。教育の権利は国(文部省)にも親(PTA)にも教師(日教組)にもない。子供自身のもつ権利である。親はその子供の権利を代弁して、子供が教育を受ける為の諸施策・施設・環境・費用を国に要求し、国もまたそれに応じる義務がある。しかし万一、国家がその義務を果たさぬ時には、親がやはり可能な限りその子供に教育を与える義務がある。義務教育とは、そういうことである。親は、その子供に対して可能なる最善の教育を与える義務がある。学校が幾つもあって(公立の大施設より、寺小屋式の塾に至るまで)、そのいずれに学ばせようと選択の自由にまかせる。そういう教育体制はできないものだろうか。
六月十五日(土)最近、やや心境の乱れあり。しかし朝祷のあと、中野君に「なんで君この頃調子いいのか」ときくと、「山室軍平先生の本で教えられました。聖書を学ぶこと、祈ること、この二つを実行しはじめてからすっかり変りました。最近は、少々心が暗くなるような事がおこっても、神様!と言って帰ると何でもなくなります。」大いに感謝した。
(つづく)
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by hioka-wahaha | 2013-07-10 00:09 | 日岡だより
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