No.597 日々新生(一九七四年六月一日(土)) 2013.6.23

「神の息よ吹け」1974年7月号
-「心に満つるより」改題・通巻第10号-


日々新生 

一九七四年六月一日(土)林兄の厚意に甘えて、ある保証問題で要所要所を同道訪問して頂く。無事に片付いて感謝。
六月二日(日)聖日礼拝は「神の安息」を主題。「きつねに穴あり、空の鳥にねぐらあり。されど人の子は枕するところなし」と主は言われた。人の子はどこに枕するのであろう。荒浪にもまれる小舟の中に。又あの十字架の上に。そしてこの卑小なる私どもの魂の中に。
六月三日(月)別府市中央公民館で大分県教委主催の学校広報活動講座の講師にまねかれる。二時間弁じる。会衆大いに笑う。少くとも眠気をもよおさなかった稀有な講師であるらしい。
六月四日(火)昨日にひきつづき講習会の助言者ということで出かける。午後、御用ずみ。別府市内の兄姉を訪問するも、いずれも不在。
六月五日(水)夜、祈祷会。会するものわずか六名なれど、木本兄は五月三十一日に「我が道を信じて進め」とのハッキリした御声をきき、喜びにつつまれた……等の素晴らしい立証多く、唖然とする程。古屋君は遂に泊りこむ。
六月六日(木)毎日の早朝の家庭祈祷会に、今日は古屋君もまじって、共にいのる。
六月七日(金)昨日来、異常に疲れている。肉体の芯がギクシャク。渇ききって、あえぐような内臓の訴えに、目は早くよりさめてしまう。妻と二人で毎日の祈祷会を終えると、又ひとり寝る。しかし、横になったまま、妻より昨日の諸兄姉の信仰生活のすばらしい報告をきいているうち、すっかり元気は回復してきた。最近の、この小さい群の一人一人の進境におどろかざるを得ない。
六月九日(日)日曜集会は、「神の愛に生きる」。神に愛されている体験をぬきにして、「汝ら互に相愛せよ」の実行は無理難題。イエスの「我が汝らを愛せし如く」の、この、「ごとく・ように」が大切。風のままに泳いでいるこいのぼりを例に上げる。風のごとくこいは泳いでいる。同じように、霊風のままに、御言葉のままに、神に愛せらるるままに、汝の人生はできないのか。▲午後、礼拝欠席のS君きたり共にいのる。些さか、午前中の疲れで弱っていた処なので、ありがたかった。
六月十一日(火)内にみたされると、遠慮ぶかい人も、雄々しい御言葉の伝達者になる。これまで縁のうすかったような人達に、スムースに語れるようになる。
六月十二日(水)夜、定例の祈祷会。来席六人。小さい祈祷集団であるが、あいかわらずよく祈り、よく証しなさる。力強くてならない。
(つづく)
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by hioka-wahaha | 2013-07-03 10:39 | 日岡だより
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