No.592 性格の個人差を超えよ 2013.5.19

「神の息よ吹け」1974年7月号
-「心に満つるより」改題・通巻第10号-


性格の個人差を超えよ   
 
 しろうとの想像。だから、間違っているかもしれない。人間の感覚には個人差がありはせぬか。俗に甘党、辛党というが、甘さの味覚の小さい人は、人より以上に甘いものをほしがるにちがいない。私は子供の頃、甘いのが嫌い。おはぎはアンを指でそぎおとして食べた。多分、甘さの神経が敏感すぎたのであろう。博多の川端ぜんざいをおごられたことがある。二口三口食べたら、ジーンとこめかみのあたりが痛くなって、涙が出たのを憶えている。
 痛点も同様ではなかろうか。大正の頃、賀川豊彦が神戸新川のスラムで、子供たちの足の裏に針をさしても痛がらぬ子が何人かいた。その子供たちは小さな豪傑気取りでいばっていたという。そこで、賀川は思う。客人に、ホイ刺身だよと言って、自分のももの肉を切って与えたという、かの幡随院長兵衛もこのデンだろう。多分これは梅毒性痴痛(?)症かなと。梅毒性云々は、少々名誉棄損ものであろう。ともかく個人差が相当あるらしいことは事実。
 子供のとき。人より多少痛みが軽く、よその子が泣く時、こちらは泣かなくてすむ。そういう子は、多分優越心と自尊心から益々痛みにたえて我慢づよい人に成長するであろう。これはアタマの良し悪しにも似ている。小学校低学年の頃のちょっとした学習のコツ、先生への応答のコツ、幼い記憶術・発想法。他の子供よりほんのわずか、先取りし又自分で把握した勉強のやり方が、彼を一生秀才たらしめるかもしれない。(附言。こういう式の学習のテクノロジーを手助けして自得させる教師がほしい。)
 脳細胞の中のシナプス現象も、こういう個人差があろう。勿論経験の蓄積にもよる。泣き虫、笑い上戸、怒りん坊、のんき坊主。それぞれの個性が幼い時からの生活の中で形成されていく。それ自体善も悪もない。性格に善も悪もない。
 しかし、人に好かれる性格、いやがられる性格(性格というよりは行動習慣だが)というものはある。できる事なら、陰気なくせは直して、陽気なタイプになりたい。誰でもそう思うだろう。くらいジメジメした物置の中がいいという人は余程のあまのじゃくだ。十人が十人、明るい静かな部屋を好む。同様にカラカラと明るい人物を人は好む。(つづく)
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by hioka-wahaha | 2013-05-25 19:23 | 日岡だより
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