No.590 真理は自由を得さすべし(三、生命の光・真理・自由) 2013.5.5

「神の息よ吹け」1974年7月号
-「心に満つるより」改題・通巻第10号-


真理は自由を得さすべし  
 
 三、生命の光・真理・自由
 この物語りのあと。イエスは言われる。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(ヨハネ八・12)。ここで言う世は、この俗なる世界であるし、また形而上学的宇宙でもある。命は、この世になりわいする生命でもあるし、また永遠の生命でもある。
 イエスを二千年前の人とせず、今も活きて私の従うお方とする。その時、イエスの言葉が生命となり、私の生命を輝かす光となり、私は自由となるのです。
 「もしわたしの言葉のうちにとどまっているなら………」(ヨハネ八・31)。とどまると言うのは原語で、いつまでも滞在しているという意味です。それは、はなれがたく同居しているということです。ここでいう言葉は、音韻的言語でもなければ、表記的言語でもない。宇宙の創造に干与するあの言(ヨハネ一・1)です。
 そのような言(ロゴス)に誰が接し得るでしょう。しかし、その御自身がロゴスであられたというイエス御自身―――それは智恵では把握できませんが信仰的体験で分ります―――が、私のうちに永遠同居してくれる。学者・パリサイ人の罵りと嘲りの中におかれていた女が、突然その中に静寂を見出し、独りとなり、そしてキリストに会う。そのようにしてキリストの言葉にふれるのです。
 「われも罪せじ。往け!」
 この御言葉に永遠の赦しと能力の充満を感じます。この言葉の真相にふれ、これに永住する時、次のように言い得ます。
 「また真理を知るであろう」(ヨハネ八・32)
 真理とは科学の教科書にはさまっている枯葉のごとくカビくさい法則のようなものではない。真理とは生命です。ピチピチした血もあり涙も感激もある心です。意思です。人格です。宇宙の人格、神の意思、キリストの心そのもの。これが働くので、
 「真理は、あなたがたに自由をあたえるであろう」(ヨハネ八・32)
 と言われるのです。
 イエスはご自身の広大な自由を自覚しておられた。この自由をみんなに分け与えたくてたまらなかった。この自由で、あの卑劣なパリサイ人の奸計に勝つことができた。また罪の女を解放してやることができた。このような真の自由を、あなたがたはほしくないのですか。これがイエスが人類にいぶかしげに、またもどかしげに問いかける言葉でありましょう。
 
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by hioka-wahaha | 2013-05-10 00:24 | 日岡だより
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