No.589 真理は自由を得さすべし 2013.4.28

「神の息よ吹け」1974年7月号
-「心に満つるより」改題・通巻第10号-


真理は自由を得さすべし 
 
 二、手島先生の講義
 この物語りをテキストにした説教では、手島先生の説教に最も感動しました。大感動した上に、びっくりした。手島先生がここの処を語る時、まるでこの物語りが舞台のように目の前に見えるようでした。手島先生によると、イエスはこの女があわれであわれでたまらぬ、その故にイエスは頭もよう上げられぬ、イエスは不思議に静かになったなと思って頭を上げてみると、そこに女が一人しか残っていない。その時、イエスは初めて女を見つめて「われも汝を罪せじ」(ヨハネ八・11)と言う。その時、イエスの眸は愛にみちて、涙がぼろぼろです。許された女も涙でぐしゃぐしゃです。それを語る手島先生も涙を流して語る。
 手島先生という人は矛盾の多い人で、私は今でも釈然とせぬ処ばかりです。しかし、この罪の女の物語りを講義される時の先生を見ていると、いつもの傲岸不遜な先生の面構えは消えて、全くイエスにあがなわれ、悪人のままで神の前に許されて感激と喜びで涙をぼろぼろ流している聖なる顔が見えます。このように、手放しで神の愛・キリストの救いを謳歌した人を私は知りません。そのエモーショナルな説教に私はびっくりしたものです。私はよく手島先生の悪口を言いますが、しかもあの人は本物だったナと思います。
 キリストによって救われるということは、智識や教条丸のみの事ではない。人格ごと網ですくわれるように救われて、網の中で、魚がピチピチはねおどるように喜び踊ることです。そこで必然的に、意思や知性と共に、感情が激動します。
 「われも汝を罪せじ。往け!」(ヨハネ八・11)
 この言葉は、イエス特有の断言命令です。この命令を魂に徹してきく時、いかなる人も「往く!」のです。人生の荒海を往くのです。生きる事の喜びと、困難にたちむかう勇気とがここにあります。
 この前、ニクソンが全米の批難を一斉にあびて、大統領の職を辞した時、さすがに可哀そうな気がしました。極東軍事裁判のとき東条英機が全世界の批難をあびて、遂に死刑に処せられた時、あれも哀れでした。私は東条体制に迫害された人間の一人ですが、それでも彼を可哀そうに思いました。世界のうち、誰一人として私を弁護するものなく、万人の弾劾に身をさらす時、私をかばい私をあがなうものはキリストのみです。私を一斉に批難攻撃する声、鞭、投石も、キリスト十字架にさえぎられ、せきとして声なく、私一人キリストの前に残されて、私はキリストの涙を拝すのです。そこに私の救いがあります。それが「福音」です。
(「神の息よ吹け」1974年7月号より)
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by hioka-wahaha | 2013-05-04 22:04 | 日岡だより
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