No.194 選挙は終わった 2005.9.18

選挙は終わった

 選挙は終わった。今回の選挙は九州では台風14号が突入してきて騒々しかった。落ち着いて選挙演説も聞けないという有様だった。その中で選挙は終わった。自民党大勝利である。
 このまま小泉さんが羽振りを利かせても、ヒットラーのように舞い上がりはしないだろうから安心だが、それでも勝って驕ってはいけない。自重して頂きたいと思う。人間は得てして、こうした大勝利のあとが怖い。頼まれないでも祈ってあげましょう。パウロ先生は私たちクリスチャンに勧めるのです。
「まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っている人々のために、願いと祈りと、とりなしと、感謝をささげなさい」(第一テモテ2:1)と。
 この勧めを、全クリスチャンはぜひ覚えていてほしい。日本にとって、王たち、上に立つ人たちとは、まず天皇様ご夫妻と皇太子ご夫妻。そして今回の小泉さん。以下各閣僚、高級官僚、代議士諸君、こういう方々のために祈りなさい、とパウロ先生は言うのです。
 当時の王たちや、上に立つ役人たちは揃ってクリスチャン迫害者たちではなかったか。その残忍な迫害者たちのために「願い、祈り、とりなし、感謝しなさい」と言う。「パウロ先生、人がよいにもほどがあります」という声もあろう。
 しかし、社会の一応の安寧秩序を守るためには悪い権力でも無きに勝る」という低次元の配慮もあったと思う。「わたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすため」(第一テモテ2:2)には必要な権威であると言うのだろうか。常識人のパウロの言いそうなことでもある。
 しかし又、これは「敵のために祈れ」と仰せになったイエス様の御心に沿った勧めだと私は思う。ナチス治下、ヒットラーのために祈ったクリスチャンは反ナチスの教会の中にも多かったと思うのです。
 特に「願い、祈り、とりなし、感謝」、この言葉の並びに思いを馳せると、幾多の神学的重要命題が出てきそうであるが、その事には今回は触れない。
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 「すべての人」という言葉に目を留めたい。この第一テモテ第2章の1節から6節までに同じように「すべての人たち」と言った言葉が4回出て来ます。
 最も重要な言葉は、「神はすべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」という言葉と、「彼(キリスト・イエス)は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられた」というお言葉です。
 神様は全人類を救おうと望んでおられる、しかもそのための神様のご計画は既にイエス様によって成就された、というのです。それがなぜ、現実的には未だにこの地上に実現されていないのか。
 パウロは一つの付帯条件を語っていました。私たちの「願い、祈り、とりなし、感謝」です。この言葉をパウロがまず語るのに、「すべての人のために」と言って一旦区切って、それから「王たちと、上に立っている人々のために」と書き添えるのです。
 ここで学べることは、すべての人を救う神様のご計画が成就されるためには、私たちクリスチャンの祈りが必要だということです。しかも、「願い、祈り、とりなし、感謝」という、重複的な祈り方をパウロは要求するのです。そうした全クリスチャンの「願い、祈りと、とりなしと感謝」がささげられる時、神の救いの御業は成就するのだよ、とパウロは言っているように見えます。
 先師T先生が言いました。「信仰とは神と人との協力作用だよ」。ちょっと理解し難い言葉でしたので、私は驚きの余り、その言葉を正確に覚えることができなかったほどです。信仰とは「私が全く無力になって、神様に完全に降参することである」と極力思いこんでいた私は、腰が抜けるほどびっくりしたのです。
 もちろん「私が全く無力になって完全に神様に委ねきる」信仰は真理です。大切です。しかも尚、「私の協力」を神様が求めておられるという不可思議さが、その後次第に分かってきました。
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 ところで、「すべての人のために、また王たちや上に立つ人々のために」祈るクリスチャンの責任について申し上げたい。
 日本だけにしぼって言うなら、「すべての人」は日本国全国民です。「王たちや上に立つ人々」は先に述べたように、天皇様や、その周辺。また小泉さんやその周辺、その従属する人々です。こうして人々のために、祈りましょう。今回、一応の選挙をすませたクリスチャンの私たちには、その責任があります。
 アメリカの南北戦争が終わって、ゲッティスバーグの記念式典でリンカーンが演説しました。有名な「人民の、人民による、人民のための政治」という名句。
今日に至っても、リンカーンがあれほど熱望した奴隷廃止の根本的理念がアメリカで完全には生きていないことは、今日のハリケーン被害地の住民たちの底知れぬ白人支配への怨念を見れば分かります。アフリカから無理矢理に連れて来られた貧困で無教養な黒人たちを見くびって社会資本の投入をしぶってきたアメリカのいわゆる民主主義の偽善性が今露呈しているのです。
 私はここで好んでアメリカ非難をしている訳ではない。アメリカには良きものが沢山あります。私はアメリカ人が好きです。しかし、アメリカ人が自己の矛盾を知らずして、民主主義を世界に輸出しようとしている愚かさと傲慢さには気づいてほしいのです。
 そして今、日本を振り返るならば、私たちこそ「日本人民の、日本人民による、日本人民のため」の政治を求めたいのですね。それを今回、意気軒昂たる小泉さんと、それに率いられる自民党の面々に求めて、それが可能でしょうか。不安にならざるを得ない。まず不可能でしょう。ではどうすれば良いでしょう。
 祈りです。日本の全クリスチャン、祈りましょう。
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 国家というものは、国土と国民と支配権の三つで構成されます。ユダヤ人は西暦71年以来、国土を失い、国民は世界に流浪し、彼らを治める王も政府もありませんでした。しかし、彼らは2千年の間、自分たちが神の民であることの自覚を失った事はありません。世界歴史の奇蹟です。(2005.9.13.夜、祈祷会にて)
 日本人は余ほど誇り高き民ですが、それでもアメリカに移民すると一世はともかく二世はもうアメリカ人です。太平洋戦争の時には日本人二世のアメリカ兵士は父祖の日本列島に軍靴で上陸して来ることを厭いませんでした。ひょっとしたら日本領土空爆の兵士のなかに日本人二世がいた可能性もありますが、それは知りません。ともあれ、ユダヤ人は国土もなく、王も無いけれど、ユダヤ人として2千年の歴史を地球上に残してきた。このすばらしい民族のアイデンティティ、こうした民族の誇りを日本人も持ってほしい。
 そのためには、まず日本にあるすべてのクリスチャンがキリスト・イエスにある栄光に満ちた自画像を抱いてほしい。そのことは別の機会に書きたい。《く》

《お知らせ》
 パワー・プレイズの松岡欣也先生から次のような携帯メールがはいりました。毎朝、ご希望の方に送り出している「聖句と先生の一言コメント」というものです。実は私もしてみたいと思っていましたが、先を越されました、呵々。《く》
【聖書の言葉】『だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎ当てたりはしない。また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしない。(ルカ5:36、37)』
【チョッと一言】これまでにない熱い選挙戦でした。改善より改革を望む人達や世代へと移行する時の流れを感じます。イエス様も改善ではなく根底から造り直すために来られたのに、古い頭の指導者層は抵抗。代わって神は新人、素人、若者、女性を抜擢。日本にイエス様のおいでを待つ人は聖書の解釈に光が当てられたら、腹を決めて自分に大切なものを見分け取捨選択し、次に備えよう!(松岡師)

〔あとがき〕
私は9月20日より22日まで埼玉県川口市のリリアで持たれるオズボーン師のセミナーに参加します。伝道会には残念ながら参加できません。なお、今回は帰路を急ぐ事情があり、ゆっくりお訪ねしてお交わりする余裕がなさそうです。東京方面の方々、近くまで行きながら失礼する方も多いと思いますが、お許しください。《く》
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by hioka-wahaha | 2005-09-18 00:00 | 日岡だより
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