No.582 事毎に祈れ(五、祈りが空念仏におわらぬよう) 2013.3.10

「神の息よ吹け」1974年4月号
-「心に満つるより」改題・通巻第7号-


事毎に祈れ   

   五、祈りが空念仏におわらぬよう
 「告げる」(ピリピ四・6口語訳「申し上げる」)という言葉は「悟らしめる」という原意でして、単に言葉を唱えるというような祈りではない、神様の英知(グノーシス)に本当に判ってもらう、そういう祈りなのです。
 よく空念仏という言葉があります。念仏を唱える側が上の空のカラ念仏という事もあろうが、もしかすると唱えられる仏さんのがわで、よく聞きとれぬ念仏、右の耳から入って左の耳にぬける念仏もあるかもしれぬ、そういうカラ念仏じゃ困るんですね。本当に仏さんの心の中にカチンと納まってくれる念仏じゃないと困るんです。
 そういう念仏は、ひっくり返していうと、仏さんの胸にカチンと納まってくれたと、こちらにもカチンと応答のある一つの証し(アシュアランス)があるのです。こういう実感が祈りの生活には必要ではないでしょうか。この実感がくるまで「終りまで耐え忍んで」祈って待つ必要があります。こういう奨めに対しては、それが感情主義だとか、体験至上主義だとかいう批難もありましょうが、信仰生活の実践論としては、これは必要な忠告だと思います。ある人はこれをコリントゲームでパチンコ玉がコツンと凹みにおち込んだ時の感じだという。ある人はウッと胸にこたえる感じだという。主観的希望にだまされて、この時のカンの狂うこともあるが、体験を重ねて行くと次第にホン物、ニセ物の区別が分って来ます。
 (1974年4月号「神の息よ吹け」より)
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by hioka-wahaha | 2013-03-12 23:03 | 日岡だより
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