No.581 事毎に祈れ(四、コト毎の祈り) 2013.3.3

「神の息よ吹け」1974年4月号
-「心に満つるより」改題・通巻第7号-


事毎に祈れ 

   四、コト毎の祈り
 前述した、S姉方式の祈祷法を一口で言うと「事毎の祈り」ですね。
「ただ事毎に祈りをなし願いをなし、感謝して汝らの求めを神に告げよ。さらば人の思いにすぐる神の平安、汝らの心と思いとを守らん」(ピリピ四の5、6)
 この聖句は、「事毎の祈り」の秘訣をよく表してくれています。
 事毎のコトという言葉は、モノ(物・者)に対蹠する言葉です。これら二つを合わせて、日本ではモノゴトというのです。モノは、ある時間帯を過去・現在・未来にわたって滞留します。コトはちがいますね。コトは一瞬一瞬、現在にあるだけです。コトは「我と」他者とのかかわりあいなのです。他とのかかわりあいは一瞬一瞬に変化してとどまることなく常に現在的です。
 時間の態様について三つの見方があります。
 (一)第一に過去→現在→未来へと流れる型。これは時間を見る人が、あたかも時間の外に立って「ゆくものは斯くの如きか(孔子)」と嘆じている具合な客観的立場です。
 (二)第二に未来→現在→過去への型。これは舟が川の中にあって上流に向うように、未来へ向って進む時、相対的に未来がかなたからこちらへ向ってやって来て、経験した時間が背後の過去に流されていく。これは主体的な時間の見方で、常識的な時間観と全く反対ですね。人生観として少しでもこの時間意識を持っていたら、運命論に陥らず未来を開拓する希望感が湧いてきます。
 (三)第三に常に現在あるのみ、常に一瞬一瞬、現在の推移のみという時間観。(ちなみに、一瞬とは数学的〇秒ではなく本当にまばたきする位の〇・一秒ぐらいの時間だと思います。ぐっと意識する間、その時間が大事なのです。)
 この三つの時間論は、私のオリジナルかと思っていたら、道元の正法眼蔵にちゃんと出てくるそうです。
 だから、事毎の祈りとは、一瞬一瞬の祈りであって、過去を悔いず、未来を案ぜず、日々瞬々に、当面するコト毎に祈り、願い、求めを感謝をもって神に告げるという事です。これはおのずから「思いわずろう」筈のない心技でありまして(思いわずらいには二つありまして、過去のイヤな事をくよくよするのが持ち越し苦労。将来の心配をいちいちするのが、取り越し苦労。現在当面する問題には瞬々に直面していて努力をするのみ、いろいろ心配するいとまはない、故に充実しています)つまりその時、人の思いも及ばなかった神の平安が人の「心と思い」を守るのであります。
 このピリピ人への書四の六に出る「心」は深い意識(霊)、「思い」は表面の意識を指すように思います。事毎に重大問題でも日常茶飯事でも、何もかも主の前に注ぎ出して祈るという、この祈り方は単に実利実効型、表面的、いわゆる積極心理技法(よくハウツウものの本があるじゃありませんか)の域をこえ深い魂の層の平安をもたらすということを、このピリピ人への書の聖句は示してくれないでしょうか。
 (1974年4月号「神の息よ吹け」より)
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by hioka-wahaha | 2013-03-09 21:51 | 日岡だより
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