No.193 神の言葉には力がある 2005.9.11

神の言葉には力がある

 ある本屋さんがありました。ご夫婦で経営していました。ある日、そのお2人が一緒に聖書を読みました。「人間はすべて神様から造られた神様の子供である」という言葉、そして「あなたがたは互いに清い挨拶を交わしなさい」(第一コリント16:20等参照)という言葉を読みました。その言葉にふれた時、何かがハッと彼らの心にひらめいたのです。
 それから、彼らのお店にくる人にはどんな人にも、子供でも大人でも、どんな貧しい人にでも、立ち読みする人でも、「お早ようございます。よくいらっしゃいました。ありがとうございます」と心をこめて挨拶をするようになりました。
 ところが、店の構えのどこを変えたわけでもなく、販売のやり方など、何も変えた訳でもないのに、売上げが4倍にもなったのです。
 そして、家の中も楽しい優しい幸福な家庭に変わってしまったと言うのです。実は30年ほど前のこの教会の週報という刷り物の中に書いてあったのを、ふと手に取ってみて発見した文章です。(30年ほど前というのは、この教会の建物がちょうど出来たころにあたります。)
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 一つの言葉、良い言葉を、それも聖書の言葉、神様の言葉を、それに目を留めて、一心に行う時、その人に、その人の周辺に、何かよい変化が起こります。
 新約聖書ヤコブの手紙第1章25節に、「完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される」とあるとおりです。
 つまり「み言葉を行う人には祝福がある」、ということです。この言葉は確かに真理ですが、多くの人にとっては、つまづきの言葉でもあります。聖書の中の言葉のどれかを拾って来て、「さあ、これを実行せよ」と言われても、実行できそうもない言葉が沢山あります。たとえば、イエス様の山上の説教の「あなたの右の頬を打たれたならば左の頬を向けなさい」です。この言葉の解釈も難しいのですが、それが分かったとしても、この言葉を実行することが難しいです。
 確かに、この言葉はガンジー流の無抵抗主義を傍証するのに良い言葉ですが、こうしたことを実行できるのは聖フランシスコ並の聖人でもなければ不可能に見えます。
 こうした実行不可能に見える聖書のお言葉を実行できる人になるためには、二つの道があります。その道を次にあげましょう。
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 第一は神様の側だけの力、聖霊の助けです。前掲の「あなたがたは互いに清い挨拶を交わしなさい」というお言葉ですが、このお言葉に触れて「何かがハッと彼らの心にひらめいたのです」と書きましたが、ここに聖霊さまの秘密があります。
 聖書の言葉でなくても、聖霊の働きによる言葉が私たちの心に響くとき私たちの魂は一変します。それが「神の言葉には人の魂を救う力がある」(ヤコブ1:21参照)ということです。
 ここで「人の霊」と言わないで、「人の魂」とあるところに注意してください。「神の言葉には人の霊を救う力がある」と言っても誤りではありませんが、聖書はそうは言いません。人の霊を救うのはイエス様の十字架の血潮なのです。
 そこでわざわざ「人の魂」というのは、一旦救われたクリスチャンがこの世で生きてサタンと戦わねばならない魂(精神活動)の領域で勝利するためなのだということを表明しているのです。
 多くのクリスチャンがせっかく新生の命(霊)を頂きながら、この世の実践的生活において失敗しやすいのは、この精神活動の領域においてパワーが無いからです。また神より賜って聖霊の権威を用いる信仰の働かせ方が理解できていないからです。
 さて、説明を戻しますが、聖書のお言葉、もしくは一般の言葉でも聖霊様が加護して働かれる時、私たちの魂(心・精神活動)に異常なインパクトを与え、揺るがない信仰を与えます。それほど堅苦しくない淡々たる信仰の場合が多いですが、しかし強烈な信念を伴う信仰を与えてくれます。これは聖霊の加担力です。
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 第二は人間のがわでなすべき事です。やや工夫が必要です。「工夫」と言う言葉は、よく賀川豊彦先生が使った言葉ですが、重要な実践用語だと思います。(例えば、賀川先生が「冥想の工夫」などと言う時、そこに賀川先生の魂の深淵が顔を覗かせています。先生のこの言葉に余り注意を払う人の少ないのは残念なことです)。
 ヤコブの手紙1:25の「完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて実際に行う人である」という言葉があります。「完全な自由の律法」とは「聖書の言葉」のことです。「一心に見つめてたゆまない」とは、言い変えれば「見続ける」ということです。「一心に」ということは一応難しいことに見えますが、実際に「見続け」ていると、次第に心が一つに集中してくるものです。
 しかも、その言葉をあなたの口で言い続けてください。それを「み言葉の告白」と言うのです。その告白を続けて行きますと、次第に信仰があなたに育って行きます。告白すれば告白するほど、あなたに信仰が増し加わって行くのです。
 この告白を実践的に強化する方法は、声を高くし体でも身振り手振りのパフォーマンスを添えてやることです。ビジネスマンの自己開発研修会でよくやる「アファーメイション」と形は同じです。(私の「だれでも出来る心の強化法」の11頁を参考)。
 こうした時、長く続けなくても、ただの1回か2回の告白でドカンと求めたことが実現することがあります。そこには前節の聖霊さまの助けを感じます。しかし、たいていの場合、忍耐して告白を継続することが求められます。(祈りにおいても同様です。イエス様が「失望せずに求め続けなさい」と例話(ルカ18:1~8)で語られたとおりです。
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 告白ということを少し広げて考えますと、「いつも喜びなさい。すべてのことに感謝しなさい」(第一テサロニケ5:16、18)というお言葉を思い出します。
 これはマーリン・キャロザース先生の「賛美の力」で教えられました。この本が初めて出版されて、もう30年はたったでしょうか。一世を風靡しました。当時、私はさっそく真似しました。何を見ても、何が起こっても「感謝します」「賛美します」と言ったものです。
 そこへ続いて「笑い」の神学的方法論が私の頭脳に湧いてきました。すぐさま実行を始めました。「ワッハッハハ、ワッハッハハ」です。これらはすべて、即「喜ぶこと」や「感謝する」ことの告白です。これを出来るかぎり絶え間無く実践する、ここに信仰を効果的に自分に当てはめて成功的信仰生活を送る秘訣があります。軽すぎる言い方でしょうが、コツと言ってもいいほどのことです。《く》

【福音春秋】
 リバイバル新聞が「バウンダリー」の紹介を始めた時、私は非常に好感を持った。それは非常に今日的な人間関係、近隣問題に触れているので、こうした事に悩む心優しきクリスチャンの方々のためすばらしい、身近な問題引受け窓口だと思ったからである。さて、同じく今回のリバイバル新聞9月11日号、ヒットだと思う。借金問題である。関係のない人は他人のことで何処吹く風かもしれないが多重負債を抱えてウンウン言ってうなっている人には飛びつきたい頁であろう。西田育生先生がやっている東京ライフケア事務局の記事です。借金に悩む人々のためのカウンセリングと支援を目指します。先生言わく、「借金はもともとは心の問題」。しかし、具体的には「目の前の問題」です。今後の記事を期待します。《く》

〔あとがき〕
先週の本紙に書いた産経新聞の件、実はその掲載した写真に産経らしいメッセージを感じて同紙を褒めたつもりであった。さて9月10日の地元大分合同新聞にはコラム囲いで、ワシントンからバス10台でニューオーリンズに被災者迎え入れに行ったが一人しか希望者が無かった、とある。それ以上何の説明もない。商業新聞のくせ、突込み足りなあと、呆れる。《く》

《御礼》
台風14号のお見舞を多数頂きました。感謝します。大分の教会や小生、信徒各位、さして被害はありませんでした。感謝。ただし、宮崎や延岡等、床上浸水や断水、お見舞申しあげます。《く》
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by hioka-wahaha | 2005-09-11 00:00 | 日岡だより
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