No.572 剥脱の日記<日本教? 禅>他 2012.12.30

「心に満つるより」No.1

剥脱の日記    

<日本教? 禅>
 最近、禅宗の本(特に正法眼蔵)にこっているが、この東洋的な、余りに東洋的な思想に埋没していると、時々、その脱世間的な、故に世間に対してきびしさをうしなって妥協的な生き方になってしまう入廛垂手ぶりに反発しはじめる。
 それじゃダメだ。もっと世間への発言と行動はないのかと言いたくなる。悟りすまして洒脱な風格の和尚が、芸者を上げて遊んでいる。そういう悟りきっていると称して、世間に埋もれきって、なずんで手が切れなくなってしまっているような人物を輩出する仏教というものをおかしいと思う。これはもともとの仏教であろうか。あるいは、イザヤ・ペンダサンのいう「日本教」のしからしめる処であろうか。
      ×      ×
 キリスト教のきびしさは矢張り、砂漠と唯一神教のしからしめる処か。このきびしさと、仏教のあいまいさとが止揚されて、次代の宗教がでてきそうな気がする。私の宗教はそういう宗教でありたい、私はそういう宗教に生、死したい。

<いろんな宗教の型>
① キリスト教は、何でもかでも十字架の贖罪に吸引してしまって、宇宙を彩色する。
 贖罪はたしかに神の法則、これに救われるのみでなく、これに救われたものは、この贖罪愛に自分が行動すべきだ。
② 仏教は一切を平等に無に閉じこめて活動を封じやすい。
社会に出て行こう。不平等の世間に出て共に泣こう。
③ ニューソート風の近代宗教は人間の快楽主義的エゴイズムになじんでしまう。
 人間のエゴイズム、皮相なヒューマニズムを糾弾せよ。この皮をむけ。
④ マルキシズムは自分の罪を忘れて、それを人に転嫁する。
 マルキシズムに妥協するな。唯物論に恐れるな。
⑤ 催眠的人格改造論は、人間性の表面を浅くなでるだけ。
⑥ 心霊学は、人を宿命論や恐怖心におとし入れ、エゴイズムより救い得ない。
⑦ 神道は、何もしないのと同じ。その明るさがよい。
⑧ ヒューマニズムは人間エゴイズム。

<ガンジーを想う>
 これまで、東洋思想、東洋思想と言って、東洋思想にはまるで、きびしい現実対処がないもののように言ってきたけれど、あのガンジーの行動はどうだ。
 そして、そのガンジーを見習って、アメリカで黒人牧師のマルチン・ルーサーが無暴力抵抗をやったという事に、西と東の結合を見て、大きくうなずかせられる処がある。
      ×      ×
 インドにおいて、ラーマクリシュナとガジーと、どちらが根源的であったろう、どちらが世界に対し、直撃的であったろう。
(1973年10月号「心に満つるより」No.1より)
[PR]
by hioka-wahaha | 2013-01-01 22:27 | 日岡だより
<< No.573 剥脱の日記<一徹... No.571 はじまりのことば... >>