No.568 イエス様は癒し主 四、神の治癒力 2012.12.2

イエス様は癒し主  

    四、神の治癒力


 一応「病気の癒し」だけにしぼって述べてみましょう。
 実は自然治癒力も、自己治癒力も、神の治癒力のなかに包容されることには間違いありません。しかし、これらの秩序を知ってください。神の治癒力が基礎となって、その上に他の自然治癒力も、自己治癒力も成り立つのです。
 最近、人気のある中村天風さん。この方はインドの聖者のところに行って覚醒したそうですが、そのとき以来、この方は「造物主」という言葉を覚えられたようです。これはすばらしいことです。日本の八百万の神様と言うより余程良い。しかし、その後にも、「自然治癒力、自然治癒力」とおっしゃる。これが残念。
 どう見ても、中村天風さんのいう造物主は宇宙の意志、天地の法則というのと、さして違いません。その宇宙の意志、天地の法則に従って、自己革命すると、自然治癒力を豊かに自分のものにすることが出来るというのです。しかし、ここに私たちクリスチャンが学ぶべきことが大いにあります。
 私たちクリスチャンも天風さんに似た方法で、自分の努力しだいで自己の意思を変え、心構えを変え、神様の生命法則ないし神様の御心に従って、私たち自身に、私たちの周りに奇蹟を起すことができる、この事をあまりにも多くのクリスチャンが知りません。知っていても、それを諦めています。そうしたことは、ベニー・ヒン先生やアナコンディア先生でないと出来ないことだと思っている。いや、もっと別の方々もいる。奇蹟を期待するなんて、新興宗教なみの卑賎な宗教、我々はそんな下等な信仰は軽蔑しますとさえ言われる。
 人の救われるのは行為によらず信仰による、という十字架による義認の純粋信仰に閉じこもると、行いと努力により恩寵の領域を増やしてゆく信仰の教育課程はうとましく感じるものです。(*この十字架による義認の信仰はキリスト信仰の第一関門です。これがなければキリスト信仰はありません。)
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 「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあってはあなたがたの労苦がむだになるこはない」と聖書は言います。人間の自力行為の肯定です。からし種一粒ほどの信仰でよい、その信仰を用いて小さい自力で全力を尽くすのです。それを継続すると驚くべきことが起ります。
 たとえばイエス様の例話を引くと、「この山に向かって海に入れ」と言うだけでよいのです。「言う」というだけの人間の唇の小さな行為です。これが「告白」の信仰です。
 この「告白」行為だけを取り上げれば、いわゆるアファーメイションです。これで自分の心構えを変えることが出来ます。この位のことはビジネスマンのセミナーでもヤッテイマス。
 その他、マリーン・キャロザース先生の「賛美」も言葉による行為です。あるいは、
 詩篇三七・四では、単に「喜ぶ」ことを命じています。だから私は言うのです、「さあ、笑いましょう。一緒に喜びましょう」と。こうして神様から力を与えられ、それを受け取る信仰を持ちたいと思います。
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by hioka-wahaha | 2012-12-04 21:01 | 日岡だより
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