No.192 民族の魂 2005.9.4

民族の魂

 この原稿は9月1日の夜に書いている。日本では1923年の関東大震災を心に銘じて「防災の日」と呼ぶ日だ。関東大震災は当時、世界の同情を買った。アメリカからも多くの援助物資が贈られた筈である。
 今回のアメリカのハリケーン被害の報道にビックリしている。今度こそ、日本からアメリカにお見舞の復興資金や物資を贈る時であろうか。どうも、こう書くとヘンな感じがするのもヘンであるが、私の正直な気持ちである。なぜか?
 世界一の金持ちで、文明国で、無いものは何も無いように見えるアメリカの国で、たかが風が吹いたくらいであんなに被害が起こるものなのか。同情してよいのか、同情などしては失礼なのか、挨拶に困る、と言った感情が起こるのだ。私のひねくれ根性だろうか。
 それにしても、あのキリスト教国家アメリカで、ああした混乱下に略奪が起こるとは何事か。日本の阪神大震災などで略奪どころか、コンビニなどで買物の客が整然として順番を待っていた、公衆電話では急ぐ人に順番を譲る人もあったという。当時、その記事を読んで、感激して涙ぐんだものだ。なんだかアメリカが憐れになってきた。
 産経新聞の紙面を見ると腰まで水に浸かって避難している集団は皆、黒人たちである。産経は何も解説していないけれど、南部アメリカの暗部をあばいているようにも見えた。
 ともあれ、この日には、もう一つひどい国際ニュースがあった。イラクのバグダットで数百人の民衆が橋から、チグリス河になだれ落ちて溺れ死んだという。宗派間の摩擦が原因だが、群衆がテロの噂におびえた結果であるという。このような騒動が起こるのもイスラムの信仰のせいか、民族の特別の問題なのか。《く》

 
福音魂を日本に

 戦争中の記憶であるが、無教会の矢内原忠雄先生が書いていた文章がある。「日本の台湾統治は成功である。これに比して朝鮮統治は全く悪い」。正確な文章は忘れたが、だいたいこんな意味だった。戦時であったから政府筋には睨まれて当然の文意であったがこういう時、矢内原先生には只ならぬ勇気があった。ちなみに矢内原先生は当時、東京帝国大学の教授、植民地政策の権威であった。
 最近、ある人が台湾を訪ねて、当地の台湾の知識人が「日本の政治は良かった。かつての日本人は私たちに日本魂を教えてくれた。今の日本人には日本魂が無いような気がする」と言うのを聞いたそうだ。「日本魂って何ですか」と聞くと、「それは教育勅語ですよ」と答えたそうだ。私は驚いた。
 明治天皇による「教育に関する勅語」は明治23年の発布だが、その記念式が当時の第一高等学校で行われた。時も時、そこで教授であった内村鑑三先生が正面に飾られた天皇のお写真(当時御真影と言った)に礼拝することをためらって、チョコッと頭を下げただけにした。それが天下に伝えられ、先生は「国賊」という訳で全国住む所にも窮するような事になった。
 その時、先生は「形式的に教育勅語をうやうやしく拝むとか、どうとかではない。教育勅語の精神を真心から実行出来るのか、ということではないか」と、当時の国純派の哲学者井上哲雄あたりに反論している。
 「教育勅語」は良いものである。いわば聖書でいう律法である(ローマ2:14参照)。戦前の台湾の人々が心から承服したという「教育勅語」は明治日本の遺産である。台湾の人さえ褒めてくれる。日本人たるもの、これは堂々と誇ってもよいことだと思う。
 しかし、実は日本魂だけでは物足らない。今、日本に必要なものは福音魂である。「律法のなし得なかったことを成就するのはキリストの血潮」(ローマ8:3参照)である。キリストの福音こそ「教育勅語」の律法を完成する。さあ、「キリストを日本に!」《く》
 

「国家の理想」

 折も折、伊豫土佐市の浅野忠志兄から、矢内原先生の「中央公論」昭和12年9月号に載った論文、「国家の理想」の複写が届いた。私は文献で読むだけで、実際に開いたことのなかった問題の論文を初めて拝見して感激した。その論文を紹介するだけの紙面がないのだが、武田清子氏の解説の一部を以下に載せる。
 「この論文で一番当局が忌避したのは、どの点であったか」という問いに対して先生はこう答えている。
 「国家の理想は正義と平和である。戦争という方法で、弱者をしいたげてはならないのです。国内においても、国際的にも、強者が弱者を支配するのに暴力を用いるならば、それは既に戦争政策です。
 如何なる国も『国家の理想』に従って歩むとき、立派な国となり、栄える国になるのである。そういう国家の理想に従って歩む国にならなければ、国は栄えない。一時、栄えるように見えても、理想のない国は滅びるものだと言った、これが問題になったのです」
 矢内原先生は藤井武先生の記念講演会でも語りました。「理想を失った日本の国は一度葬って、新たに出直さねばなりません、日本の理想を活かすために一先ずこの国を葬ってください」。この言葉が引き金になって、当時の東京帝国大学の教授の地位を追われたのです。戦後、先生は当東京帝国大学の総長に帰られたのはどなたも知っています。
 さて辞表を出された後、終講の辞を述べられた。
「私は身体を殺して魂を殺すことのできない者を恐れない。……身体ばかり太って魂の瘠せた人間を私は軽蔑する。諸君はそのような人間にならないように」。
 教室につめかけた満堂の学生たちは深い感動に襲われたという。先生は、別の聖書研究会の会員の前でこうも言っている。
 「どんなことがあっても、私は諸君に恥をかかせるようなことはしません」と。「私のせいで諸君が警察に捕まるようなことがあっても後悔せぬように」と言わんばかりであったそうです。《く》
 

神の道をわが道とせよ

 もう一つの「折も折」です。ちょうどこの日、キリスト聖書塾の藤岡弘之先生から「生命の光」今月号を恵送受けました。私は手島先生から叱られて、何を叱られているのか見当もつかず、打ちしおれて大分に逃げて帰ったものです。その後、先生は亡くなられてしまったし、不本意のまま本日まで過ごして来ました。
 ところで、その今日頂いた「生命の光」に懐かしい手島先生のブラウニングの「ベン・エズラ」の感想が載っていました。先生の「ベン・エズラ」は天下の圧巻です。言わく、

 「私たちは、一度すっかり自分の心に線を引くことが大事です。小さな心、目先だけの小さな理想しかもっていない小人ばら、すなわちこの世の神無き人たちとは、一線を画して歩こうと決心しないと、信仰が成長しません。私たちは、偉大な心の人々の心、グレート・マインドの持ち主でありたいものです。……人が何と言おうと、神の道をわが道として行こうとするのが、一番大事です。
 私たちは神に聴き、神の声を聴くべきです。神様に信頼し、神様に価値基準を置くのが一番良い。神様の目に尊く見えるものがよいのです。人間に基準を置いたら負けてしまいます。
 神様に信じて、自分の一生を、今からの未来に任せることが大事ですね。神は必ず導きたまいます。」《く》

〔あとがき〕
以上は、9月1日に書いたり、引用したりした拙文です。「福音魂を……」は元々私の原稿ですが、拡大の機関紙に載せた私のエッセイです。丁度その機関紙「マグニファイ」が9月1日に私の手元に着いて、この号に貰ってしまったのである。いまさら、書き直しもしたくないので、このまま印刷に廻すズルを決めたわけです。▼9月1日がこんな風なら、9月2日も又、新聞に振り回された。ミズーリ号艦上降伏文書調印の記事、関連して「山口判事、ヤミ米を食べないで餓死」、「特攻隊くずれの青年、戦災孤児と共に駅に寝る」、そういう記事が満杯である。▼「戦災孤児」!、私には想い出が山ほどある。防空壕跡に共に抱いて寝たY君。駅の切符売り窓口の棚の上に寝て転げ落ち接骨医に連れていってやったG君、その後どうしたろう。当時の事ゆえ、写真もない。時おり新聞社が写してくれた写真は捨ててしまった。▼当時、大分駅前から竹町にかけてのヤミ市の靴磨きのボスは私だった。私の許可が無いと靴磨きが出来なかった。その特権を利用してキリスト新聞を戦災孤児たちに駅構内で売らせた。売った金は彼らにやった。たしか、300部は売れたなあ。《く》
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by hioka-wahaha | 2005-09-04 00:00 | 日岡だより
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